第235回 「なんで勉強しなきゃいけないの」と言われたときに思い出す詩
「なんで勉強しなきゃいけないの」
子どもが勉強をしているときに、よく言うことですよね。大人としては、良いことを言うチャンス到来なのですが、答えるのは難しいものです。
「勉強することは、人生の可能性を広げること」
教える仕事を長くしている私自身はそう信じていて、ある詩を読むたびに、その思いを強くします。夜明けについての詩なのですが、勉強とどんな関係があるのか、まあ読んでみてください。
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Not knowing when the Dawn will come,
Emily Dickinson
Not knowing when the Dawn will come,
I open every Door,
Or has it Feathers, like a Bird,
Or Billows, like a Shore—
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夜明けがいつ訪れてもいいように
エミリー・ディキンソン
夜明けがいつ訪れてもいいように
ドアは全部開けておきます
鳥のように羽ばたいてくるかもしれないし
浜辺のように波が押し寄せて来るかもしれないから
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短い詩ですが、「夜明け」「ドア」「鳥」「羽」「浜辺」「波」というイメージが、何だかとても爽やかですよね。
この詩を読むたびに、「勉強することは、人生の可能性を広げること」ということを考えてしまいます。
というのも、この「夜明け」というキーワードを「人生の中で訪れるチャンス」と考えてしまってから、自分にとっては、この詩が夜明けの詩でなく勉強の詩になってしまったんです。
Not knowing when the Dawn will come,
I open every Door,
夜明けがいつ訪れてもいいように
ドアは全部開けておきます
「夜明け」は「人生の中で訪れるチャンス」だから、「可能性」という「ドア」を全部開けておこう。
そうやって子どもに言いたいなといつも思います。
子どものころに「将来の夢」とか「将来なりたいもの」という作文をよく書くものですが、生きていれば夢や目標も変わっていくし、そのすべてが叶うわけでもありません。
しかし、人との出会いや、自分の能力の向上によって、人生の可能性は無限に広がっていきます。
自分というドアがたくさん開いていれば、チャンスが舞い込む可能性も大きくなる。
そう言いたいなと思います。
Or has it Feathers, like a Bird,
Or Billows, like a Shore—
鳥のように羽ばたいてくるかもしれないし
浜辺のように波が押し寄せて来るかもしれないから
では、そのチャンスとはどういうものかと言うと、「鳥」であり「浜辺」であると言います。
鳥はドアをコンコンとノックして「あのーすみませーん」とわざわざ言ってはくれません。
チャンスも同じで、自分からドアを開けておかなくては、入ってきてはくれません。可能性という波で自分を満たしたければ、心のドアを開けておかなければいけません。
これは、子どもに限らず、あらゆる学ぶ人に当てはまると思うので、教える仕事をしながら、常々心の中で思っていることだなと思います。
鳥や波はやって来ますが、自分の心のドアが開いていないと意味がありません。だから、心のドアを全開にできるように、自分もできることを全力でするよ。
そう言いたいなと思います。
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今回の訳のポイント
わずか4行の詩ですが、「夜明け」「ドア」「鳥」「羽」「浜辺」「波」という開放的なイメージの言葉によって、大きな広がりを感じさせてくれます。
この詩の最大のポイントは1行目です。
Not knowing when the Dawn will come,
I open every Door,
夜明けがいつ訪れてもいいように
ドアは全部開けておきます
直訳をすれば、「夜明けがいつ訪れるか分からないので、ドアは全部開けておく」となります。
「ので」とありますが、それを意味する接続詞は文の中にはありません。しかし、わざわざ接続詞を使わなくても、「~ので」「~とき」「~けど」のように、接続詞的な意味が想像できるとき、Not knowing のように、動詞を ~ing の形にします。
ただ、「いつ訪れるか分からないので」とすると、少し受身で消極的な印象になってしまいます。
「夜明け」「鳥」「浜辺」という開放的で積極的なイメージにしたいところです。「いつ~か分からないので」でなく「いつ~てもいいように」とすれば、積極的な響きになりそうです。
子どもにとっては、一日一日が人生の土台をつくる貴重なチャンス。様々なチャンスの訪れを受け止めることができるよう、心を開いておけるようにしてあげたいなと思います。