第223回 「どっち派?」と聞かれたときに思い出す詩
猫派と犬派。コーヒー派と紅茶派。アウトドア派とインドア派。
どっち派かで真っ二つに分かれることが世の中にはあります。
とある短い詩があって、それに対してどう思うかで意見が真っ二つに分かれるだろうなといつも思います。
読んでみて、賛成か反対か、ちょっと考えてみてください。
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True Friends
Thomas Carlyle
True friends, like ivy and the wall
Both stand together, and together fall.
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真の友
トーマス・カーライル
真の友とは 蔦と壁のようなものだ
立っているときも 倒れるときも 一緒なのだ
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どうですか。「真の友とは一蓮托生だ」と賛成するのか、「いやいや、倒れそうなときは支えてあげなよ」と反対するのか。
自分自身は初めて読んだとき、いまいちピンとこなかったんです。
友だちが倒れるたびに一緒に倒れていたら、命がいくつあっても足りないなと。
True friends, like ivy and the wall
真の友とは、蔦と壁のようなものだ
そもそも、蔦と壁と言うのがピンとこなくて。というのも、蔦と壁って、対等な感じがしないんですよね。
蔦は壁ありきで生きていると思うと、何だか蔦の方は頼りないなと思ったり。
でも、いろいろと考えてみると、ある友人にとっては自分は蔦で、また別の友人にとっては自分は壁のような存在なのかも、とも思えてきます。
Both stand together, and together fall.
立っているときも 倒れるときも 一緒なのだ
そして、意見が分かれるのがここです。「一蓮托生の友」なのか、「倒れそうなら支えればいいじゃん」なのか。
自分自身は「支えればいいじゃん」派で、一緒に倒れずに支えてやれよと思っていました。ただ、もう少し広い意味で、「倒れる」の意味するところを考えると、分からなくもないなと。
一緒に倒れるとまではいかなくても、楽しいときも苦しいときも一緒に、という意味で捉えれば、そこまで重たい意味にはなりません。
それでも、想像すると滑稽なんですよね。蔦と壁が一緒になってバッターンと倒れてしまう様子が。
それでふと思うんです。友だちと一緒のときって、傍から見たらしょうもないことで騒いでいたりするなと。それは蔦と壁が一緒になって倒れている様子みたいでもあるなと。それが馬鹿馬鹿しくて滑稽でも、二人にとっては最高の時間だという場合があるなと。
他人が何と言おうと、この友だちとは、いくつもの貴重な瞬間を共有してきたのだから、真の友と呼べるのだと。
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今回の訳のポイント
詩は音のリズムを整えるために、比較的自由に言葉を並べることが多いです。
Both stand together, and together fall.
立っているときも 倒れるときも 一緒なのだ
この行は、stand together と fall together が正しい語順ですが、1行目の最後の the wall と音をそろえるために、together fall という語順になっています。
けっこう無理やり感がありますが、詩として音とリズムをそろえています。そして、これを訳すときには、今度は日本語のリズムに落とし込むことになります。
パターンとしては、英語に近く文語調な「ともに立ち ともに倒れる」か、もう少しやわらかくした「立っているときも 倒れるときも 一緒なのだ」の二つ。
これは、好みの問題ですよね。文字通り「どっち派?」ということに!