第221回 笑いすぎてお腹が痛いときに思い出す詩
お腹がよじれるほど笑う。
自分は笑いの沸点が低いので、すぐ笑ってしまいます。日常のちょっとしたおかしな光景も、深く心に刻まれてしまうので、それをメモしておいては、それを元に、短い笑える物語を書くことがよくあります。
ひとつの出来事から、よくもまあこんなに想像を膨らませてお話がつくれるものだと、我ながら呆れることがありますが、いや、待ってください!
人類史上最強の詩人、シェイクスピアの妄想と想像は、ちょっと規格外です。
麗しき令嬢がピアノを弾く姿を見て、そういう視点で詩にするんかい!という詩があるのを思い出しました。
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Sonnet 128
William Shakespeare
How oft, when thou, my music, music play’st,
Upon that blessed wood whose motion sounds
With thy sweet fingers, when thou gently sway’st
The wiry concord that mine ear confounds,
Do I envy those jacks that nimble leap
To kiss the tender inward of thy hand,
Whilst my poor lips, which should that harvest reap,
At the wood’s boldness by thee blushing stand!
To be so tickled, they would change their state
And situation with those dancing chips,
O’er whom thy fingers walk with gentle gait,
Making dead wood more blest than living lips.
Since saucy jacks so happy are in this,
Give them thy fingers, me thy lips to kiss.
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ソネット128
ウィリアム・シェイクスピア
君が つまり僕にとっては音楽のような君が
あの幸せ者の木の鍵盤を動かし 音を奏でるたびに
君がその愛らしい指を優雅に躍らせて
弦が生み出す和音で僕の耳を眩惑させるたびに
鍵盤たちをうらやんだものさ
ぱたぱたと飛び上がっては 君の手の柔らかな内側にくちづけするなんて!
僕の唇だって その権利はあるはずさ
けれど 木片の図々しい振る舞いに 僕は顔を赤くして茫然とするしかない!
指で弄ばれる そんな立場と入れ替わりたいんだ
跳びはねる鍵盤になれたらいいのに
君の指は可憐に鍵盤の上を歩き
生きた唇よりも死んだ木片を喜ばせている
そうやって生意気な鍵盤たちを喜ばせるくらいなら
君の指はやつらにくれてやれ そして僕には君の唇をくれ
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ピアノを奏でる美しい君。そんな君の手に口づけしたい僕。しかし、君の手は鍵盤と戯れるばかり。
そんな羨ましさのあまり、ピアノの鍵盤に向かって言い放った言葉が、「死んだ木片」って!
確かに、鍵盤へと加工されている時点で、木は死んでますけど。
これは、笑うを通り越して、「シェイクスピアよ、君って奴は。」と呆れそうになりますね。
詩を読んでいて笑いが堪えられなくなるのは、修辞技法を凝らして何かカッコいいことを言おうとしつつも、このように思いが抑えられなくなってしまっているのを見つけたときです。
How oft, when thou, my music, music play’st,
Upon that blessed wood whose motion sounds
With thy sweet fingers, when thou gently sway’st
The wiry concord that mine ear confounds,
君が つまり僕にとっては音楽のような君が
あの幸せ者の木の鍵盤を動かし 音を奏でるたびに
君がその愛らしい指を優雅に躍らせて
弦が生み出す和音で僕の耳を眩惑させるたびに
澄ました顔して、こんな詩行を書いているところまではいいんです。優雅で典雅な響きが、ピアノの奏でる音そのもののようで、ここまではいんです。
Do I envy those jacks that nimble leap
To kiss the tender inward of thy hand,
Whilst my poor lips, which should that harvest reap,
At the wood’s boldness by thee blushing stand!
鍵盤たちをうらやんだものさ
ぱたぱたと飛び上がっては 君の手の柔らかな内側にくちづけするなんて!
僕の唇だって その権利はあるはずさ
けれど 木片の図々しい振る舞いに 僕は顔を赤くして茫然とするしかない!
シェイクスピア、ここで理性が完全に崩壊していますよねえ。
「鍵盤をうらやむ」って、相手は楽器ですから!
「僕の唇にも権利はある」って、何度も言うけど、相手は楽器ですから!
でも、さすが詩人だなと思わせる視点が、ぱたぱたと飛び上がる鍵盤がやさしくやわらかく、手の内側に触れるときの様子を「くちづけ」と表現するところ。
うーん、この男、やはり天才と呼ぶしかないのか。
Since saucy jacks so happy are in this,
Give them thy fingers, me thy lips to kiss.
そうやって生意気な鍵盤たちを喜ばせるくらいなら
君の指はやつらにくれてやれ そして僕には君の唇をくれ
シェイクスピア、最後までめちゃくちゃです。「指は鍵盤にあげていいから、唇は僕にちょうだい」って!
これは詩人のテクニックなのか、少年のようなピュアさなのか、それともただの滑稽な独白なのか。でも、こうやって抑えが効かないピュアな言葉に、ニヤニヤしつつも何だかほっこりもしてしまうんです。
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今回の訳のポイント
この詩の訳のポイント、いや、お笑いポイントはここしかないでしょう。
O’er whom thy fingers walk with gentle gait,
Making dead wood more blest than living lips.
君の指は可憐に鍵盤の上を歩き
生きた唇よりも死んだ木片を喜ばせている
鍵盤がどんなに羨ましいとしても、鍵盤を「死んだ木片」と呼ぶとは!
シェイクスピア、やはりこの男、最高です。
この「鍵盤=死んだ木片」というのを読むたびに、とある海外の有名ロックバンドのギタリストが、インタビューで、「あなたにとってギターとは何ですか」と聞かれたときに、「ギター?あれは、死んだ木だ」と答えたという逸話を思い出します。
確かに、ギターも木としては死んでいますし、音楽にとって機材は問題ではないということを、真のプロらしく語ったという意味で、すばらしい言葉であると思います。
苦労を重ねた上に何かを成し遂げた人が放つ言葉は、ときにものすごくシンプルです。とても簡潔な言葉で、人生の真実を表現しきることがあります。それこそまさに詩の神髄であると言えます。
それでも、やはりどうしても、「鍵盤=死んだ木片」という公式の破壊力が強すぎて、笑いを堪えることができなくなってしまうんです。