第219回 顔を洗っているときに思い出す詩
顔を洗う。歯を磨く。トイレに行く。髪をとかす。
毎日すること。それが、日課。朝起きて何を最初にするかは人それぞれですが、誰もがすること。
洗面所で顔を洗っていたら、そんな日課についての詩があったことを思い出しました!
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Routine
Arthur Guiterman
No matter what we are and who,
Some duties everyone must do:
A poet puts aside his wreath
To wash his face and brush his teeth,
And even Earls
Must comb their curls,
And even Kings
Have underthings.
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日課
アーサー・ギターマン
何者であろうと人間ならだれでも
どうしてもしなければならないことがある
桂冠詩人なら桂冠は下ろして
顔を洗い歯を磨かなければいけない
くるくる髪の伯爵様たちだって
髪は梳かさないといけないし
王様たちだって
パンツは履かなきゃいけない
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桂冠詩人に伯爵に王様。地位や身分に関係なく、誰もがしなければいけないこと。それが日課です。
No matter what we are and who,
Some duties everyone must do:
何者であろうと人間ならだれでも
どうしてもしなければならないことがある
「何者であろうと」という言葉から、どのような種類の人間について言うのかと思ったら、桂冠をかぶる詩人、くるくる髪の伯爵、そして王様と、かなり変化球の人選。
ですが、映像として脳内で再生すると、かなり滑稽な姿が見えてきますよね。
A poet puts aside his wreath
To wash his face and brush his teeth,
桂冠詩人なら桂冠は下ろして
顔を洗い歯を磨かなければいけない
桂冠詩人は、すぐれた詩人の証。名誉の象徴である月桂樹の葉の冠も、顔を洗うときには邪魔でしかないですよね。栄光も地位も名誉も、ごくごく日常のありふれた場面では、邪魔で意味をなさないということを暗に伝えているかのようです。
さらに、Earls「伯爵様たち」とcurls「くるくる髪」や、Kings「王様たち」とundethings「パンツ」という組み合わせで韻を踏み、高い身分の人間に対してくだらないパーツを組み合わせていて、なかなかとんちが効いています。
何よりも面白いのは、A poet「詩人」は a を使い、ひとりをイメージさせているのに対して、Earls「伯爵様たち」もKings「王様たち」も複数形。日本語には複数形の概念がありませんが、ここでの複数形は「~というものは」というように、一般化しているイメージですね。
生まれてから死ぬまでに、一体何回わたしたちは顔を洗い歯を磨き、髪をとかし、パンツを履くのでしょうか。日々の生活では、そんなことを意識せずに繰り返すのが日課です。しかし、人生には何が起こるか分かりません。そうしたありふれた日常は突然失われることもあるのです。
今、当たり前に自分の手を使って、蛇口から出てくる水で顔を洗える。そのありがたさを噛み締めて、顔を洗いたいなと思います。
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今回の訳のポイント
この詩の主張に、訳すうえでの大きなポイントがあります。
No matter what we are and who,
Some duties everyone must do:
何者であろうと人間ならだれでも
どうしてもしなければならないことがある
最大の難関は、what we are and who「何者」です。
What we are は大雑把に言うと、「私たちの外面的な職業や身分」と言えます。What と聞かれて、A teacherというように職業を答えるイメージです。
一方で、Who we are は、「私たちの内面にある自分らしさ」と言えます。自分らしさを形作るのは、内在化した考え方や経験であり、例えば、who I am と言えば、「(自分なりの考え方や経験を重ねた)今の自分」という捉え方になります。
この両方の意味を簡潔に表す日本語と言えば、「何者」以外にないのではないでしょうか!
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