第205回 いじめにあったときに思い出す詩
いじめって、どうしてなくならないんでしょうか。
学校で職場で、理由もなく、ある人をターゲットとして執拗に攻撃する。
そんないじめの本質を描いた詩があります。
その名も、エイリアン!
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Aliens
Amy Lowell
The chatter of little people
Breaks on my purpose
Like the water-drops which slowly wear the rocks to powder.
And while I laugh
My spirit crumbles at their teasing touch.
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エイリアン
エイミー・ロウエル
エイリアンのささやき声が
わたしの夢を打ち砕いてゆく
まるで滴る水が岩を砕いて粉々にするように
わたしは笑ってるけど
からかわれるたび心はぼろぼろと崩れてゆく
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これ、いじめられる側が味わう、心と体の苦しみを、ものすごく的確に表していますよね!とある友人が「いじめたほうって、いじめたことなんてこれっぽっちも覚えてないんだよね」と言うのを聞いたときに、ふとこの詩のことを思い出してしまったんです。
The chatter of little people
Breaks on my purpose
エイリアンのささやき声が
わたしの夢を打ち砕いてゆく
表立って騒ぐようないじめもあれば、ささやき声のように、周りには気づかれないままに進行するいじめもある。
その場で味わう苦しみもありますが、いじめが罪深いのは、それが未来の可能性も蝕むということ。夢や目標や生きる目的があるのに、謂われのない攻撃によって、神経と時間とエネルギーをすり減らされていく。
Like the water-drops which slowly wear the rocks to powder.
まるで滴る水が岩を砕いて粉々にするように
何が面倒くさいって、攻撃がちびちびと執拗なんですよね。そのしつこさと執念深さを何か別のことに使ったほうがいいのではないかと思うほど。それは、滴る水が岩を砕くかのよう。
And while I laugh
My spirit crumbles at their teasing touch.
わたしは笑ってるけど
からかわれるたび心はぼろぼろと崩れてゆく
あー面倒くさいなあと思うような攻撃を浴びて、へらへら笑ってその場はごまかすしかないんですよね。
人生で何かを作り上げるには、心と体の体力、そして時間が必要です。人生=時間なわけで、その貴重な時間を、レベルの低い無駄なことによって消耗させられるという最もダメージの大きい攻撃。
そうやって繰り返される執拗な攻撃によって、心が蝕まれる。
心って、機械じゃないから、そんなにすぐに直せないから、もとに戻るのに時間がかかる。そもそも壊されなければ、直るまでの無駄な時間を費やす必要もないわけで、壊した犯人はその罪も忘れて野放しになって人生を謳歌している。
う〜ん、この詩、すごい。たった5行で、いじめの本質を描ききっている。
20世紀前半に書かれた詩で、必ずしも、いじめというテーマで読まなくてもいいのですが、今の時代に読むと、そう読めてしまう。
エイミー・ロウエルという詩人は、男女の別れをスタイリッシュに描いた Taxi という詩や、日本文化にも造詣深く、日本の和歌風に雪の山里を描いた Falling Snow という詩など、詩のテーマが幅広すぎて、そのどれもがクオリティが高い!天才ですね!
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今回の訳のポイント
いじめというものを知る人間の心に響きまくるこの詩。訳すうえで最大の難関が、1行目にあります。
The chatter of little people
Breaks on my purpose
エイリアンのささやき声が
わたしの夢を打ち砕いてゆく
このlittle peopleをどう訳すか。異星人の古典的イメージって、大きなタコのような気味の悪い生き物か、身長の低い銀色の人間型のどちらかですよね。
「小さな人々」と言っても意味が分からないので、ここは思い切って、「エイリアン」としてしまえば、平和な星を侵略しにくる邪悪な異星人のイメージを重ね合わせることができるのではないでしょうか。
でも、これで一件落着と思ったそばから、考えてしまうんです。20世紀前半には、「エイリアン」の存在もイメージもないよなあと。「自分とは相容れない人々」というだけの意味だよなあと。