第201回 着物で出かけるときに思い出す詩
着物を着て出かけることはありますか。
私は、着物でのお出かけ、大好きなんです。冬は、特に、曽祖父の代から受け継いだ外套を羽織って出かけるのが好きなんです。
ただ、雪駄にしろ下駄にしろ、雪の中を出かけていくのは辛い!
そんなときに思い出す詩があります。
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Falling Snow
Amy Lowell
The snow whispers around me
And my wooden clogs
Leave holes behind me in the snow.
But no one will pass this way
Seeking my footsteps,
And when the temple bell rings again
They will be covered and gone.
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雪が降る
エイミー・ロウエル
雪のささやき声が聞こえた
わたしの下駄は
足跡を残してゆく
だれもここには来ない
だれも足跡はたどっては来ない
そしてまたお寺の鐘が鳴る
そして雪に包まれて消えてゆく
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どうですか!和歌のような、和の雰囲気が漂う、この詩!
和歌と言えば、日本の歴史上最高峰の歌集、『古今和歌集』を開かないわけにはいきません!
冬歌の巻を開くと、あたり一面が雪に包まれるように感じるほどの雪づくし!
山里は冬ぞさびしさまさりける人目も草もかれぬと思えば
山里は冬が特に寂しさがまさるもの。世間からも遠く離れ、草も枯れ果てしまったと思うと。
わが宿は雪ふりしきて道もなし踏みわけてとふ人しなければ
わが家は雪が降り敷いて道もない。踏み分けて訪れる人もないので。
雪降りて人もかよはぬ道なれやあとはかもなく思ひ消ゆらむ
雪が降り積もって誰も通らない道なのかな、自分って。跡形もなく消え入るような思いを抱いて。
こういう和歌を読んだあとに、今回の詩を読むと、和歌の影響を大いに受けていると思いませんか。
But no one will pass this way
Seeking my footsteps,
だれもここには来ない
だれも足跡はたどっては来ない
共通の情景は、ひと言で言うと、こうですよね。
「雪が降り積もり、訪れる人もなく、道も自分の存在も、雪に包まれ消えてしまいそうな気がする。」
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冬の歌で「わが宿は」と始まったら、「雪が降り積もって訪れる人もなく、自分も消えてしまいそう」というストーリーがくるのではと期待しつつ、楽しむ。
ある意味、様式美と言えます。細部は異なるけど、ある定型のストーリーラインがある。
「葛藤を抱えたヒロインが、ヒーローに出会い、自分なりの生き方を見つける。」「不当な扱いを受けていたヒーローが、仲間に出会い、悪を打ち倒す」と言ったら、何百もの映画が思い浮かびますよね。それと同じと考えるとわかりやすいかもしれません。
ストーリー展開は、ある程度、予想はできてしまうのだけれど、分かった上で楽しむ。それは和歌も似ています。
その意味で、この詩は完璧ですよね。「雪が降り積もって」と来て、「訪れる人もなく、消えてしまいそう」というお手本のような流れ!言語は違うのに、共通の情緒を表現しきっている!
作者エイミー・ロウエルは、20世紀はじめに、ものすごく現代的な詩書いたり、日本文化にも造形深く、日本を舞台にした詩や、俳句風の詩も多く残したり、多才な詩人でした。心も頭も、別の文化のモードに切り替えて、その情緒を表現しきる力。すごすぎて、複数言葉を扱う者として、リスペクトしかないです!
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今回の訳のポイント
この詩が和風なのは、下駄やお寺といったキーワードはもちろんのこと、日本語的な擬人法がある点です。
The snow whispers around me
雪のささやき声が聞こえた
こうした擬人法って英語では違和感があるようです。英語の論理では、現実には雪がささやくことはない!からということのようなんです。
確かに、日本語は情緒的だとか、自然との結びつきが強いとか言われるほどだからか、擬人法って日本語では、かなり当たり前に使いますよね。しかし、日本語脳で書いた美しい文も、英語ではなんだかしっくり来ない。
そんなことを承知の上で、日本語的情緒を英語に落とし込んでいるという、奇跡のような詩!
エイミー、あなたは天才だ!