第196回 幸せなときに思い出す詩
幸せ。
嬉しくて、楽しくて、不安もなく、満たされた気持ち。
そんな幸福感を心底味わえる瞬間は、人生の中でどれほどあるでしょうか。
幸せなときは、不思議と顔もほころんで、足取りも軽くなってしまうもの。そんなときに思い出す詩があります。
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The Sun
John Drinkwater
I told the Sun that I was glad,
I’m sure I don’t know why;
Somehow the pleasant way he had
Of shining in the sky,
Just put a notion in my head
That wouldn’t it be fun
If, walking on the hill, I said
“I’m happy” to the Sun.
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おひさま
ジョン・ドリンクウォーター
おひさまに向かって言ったよ
うれしいって
なぜなのか そんなの分からないけど
なんだか 陽の光が気持ちいいから
空に輝いているから
そんな気がしたんだ
楽しいんじゃないかなって
丘を歩きながら
太陽に向かって言ったらね
「幸せだよ」って
*****
これは幸福感に満ちていますねえ。
実際に、丘の上をひとり歩いている人が、空を見上げて、「幸せだよ」と言っていたら、映画のシーンじゃあるまいしと思ってしまうかもしれませんが。
I told the Sun that I was glad,
I’m sure I don’t know why;
おひさまに向かって言ったよ
うれしいって
なぜなのか そんなの分からないけど
幸福感とは何かを表していますよね。幸せを感じているときって、自分でもなぜかわからないもの。
幸せになろうとして幸せになるというよりも、気づいたら幸せな瞬間のただ中にいる。そんなときは、なぜどうして幸せなのかなどと頭で考えずに、ただその幸福感に浸りたいものですよね。
Just put a notion in my head
That wouldn’t it be fun
If, walking on the hill, I said
“I’m happy” to the Sun.
そんな気がしたんだ
楽しいんじゃないかなって
丘を歩きながら
太陽に向かって言ったらね
「幸せだよ」って
この素朴な幸福感、最高ですね。
「そんな気がしたんだ。楽しいんじゃないかなって」というような思いつきに従うことが、幸せの種のひとつかなと思ったりもします。
こうしたら楽しいかな、こう言ってあげたら喜ぶかな、そんな小さな思いつきで行動した結果、自分の周りの世界が明るくなる。そんなときは、空に輝く太陽と心のなかで握手したくなりますよね。
とはいえ、良かれと思ってしたことがかえって問題を引き起こしてしまったり、幸せを味わった次の瞬間に絶望を感じたり、人生はうまくいかないことも多いです。
そんな中で「幸せだよ」って、自然と言葉が漏れる瞬間。味わいたいものですねえ。
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今回の訳のポイント
幸福感に満ちたこの詩。「幸せだよ」って、ずいぶん直球ですよね。
If, walking on the hill, I said
“I’m happy” to the Sun.
丘を歩きながら
太陽に向かって言ったらね
「幸せだよ」って
お日様に暖められた丘をルンルン歩くという、アニメでしかありえないような光景を、もし現実に味わえたら、やっぱりその瞬間は幸福を感じるのだろうと思います。
というか、実は、私は人生で何度かそういう幸福な景色の中にいたことがあって、その幸福感をまた味わいたくて、日々生きているのかなと思うこともあります。
そして、「幸せ」「幸福」という言葉を目にするたびに、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の一節を思い出してしまいます。
「なにがしあわせかわからないです。ほんとうにどんなつらいことでもそれがただしいみちを進む中でのできごとなら、峠の上りも下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから」
燈台守がなぐさめていました。
「ああそうです。ただいちばんのさいわいに至るためにいろいろのかなしみもみんなおぼしめしです」
青年が祈るようにそう答えました。
これに比べて、詩の方はずいぶん素朴で楽観的な印象を受けますが、丘をひとり歩いている姿をイメージしてみてください。太陽や空に向き合うときって、大きな景色の中の小さな自分になれるのかなと思えてきます。
人や社会の関わりの中で、身の回りのことに押しつぶされそうになったときは、やっぱり野に出て、太陽に暖めてもらうのが一番なんですよね。