第185回 夜の東京を歩いているときに思い出す詩
夜の東京。
ビル、ネオンサイン、人々の喧騒。
この街は人々の人生を吞み込んで大きくなってきました。
そんな街を夜に歩いていると思い出す詩があります。
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Road to the Yoshiwara
Amy Lowell
Coming to you along the Nihon Embankment,
Suddenly the road was darkened
By a flock of wild geese
Crossing the moon.
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吉原への道
エイミー・ロウエル
日本橋のたもとを
君のもとへ
ふいに道に暗い影
雁の群れが
月を横切る
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てくてく道を歩いていたら、一瞬暗くなったので、何かと思ったら、雁の群れが飛んでいって、月明かりを遮ったのだった。
それだけのことなのですが、その一瞬を切りとって詩にするというセンスが、さすが詩人ですよね。
Coming to you along the Nihon Embankment,
日本橋のたもとを
君のもとへ
そして、ついに出ました!英語の詩に日本の地名が!しかも、日本橋とは!
この詩が書かれたのは、20世紀のはじめ。俳句風の詩を多く残した作者エイミー・ロウエルらしく、日本が舞台になっています。ただ、現代の日本橋のたもとに、あまり情緒がないのは仕方ないですね。以前、この詩の雰囲気を味わいたくて、仕事帰りの夜に、六本木から新橋を抜けて銀座を通り日本橋まで歩いてみたことがあります。この詩の時代のように、暗闇に月が光を落とすようなこともないほどに、光に埋め尽くされた東京。
それでも、やっぱり写真に収めたくなるような、街の光と影が作る素敵な画が、目の前に現れることがあるんです。時代は移り変わっても、そういった情感は同じなのかなと思います。
この詩では、吉原まで歩いていこうということなので、吉原の誰に会いに、誰が歩いているのか。何をしに行き、何を話すのか。パターンごとに短編時代小説がいくつも書けそうですよね。
夜の道を歩いてどこかへ向かうとき、私たちの頭の中では、一日の総括だったり、帰り着いた先ですることや話すことに思いを巡らせます。
Suddenly the road was darkened
By a flock of wild geese
Crossing the moon.
ふいに道に暗い影
雁の群れが
月を横切る
そうやって歩いていると、突然、暗い影が道に落ち、見上げると、雁は空の路を渡っている。
「吉原」というタイトルから、自由を謳歌できない遊郭の若い女性たちのイメージが連想され、自由に空を渡る雁の姿が対比的に目に心に焼きついて、詩のひとつでも書きたくな、、、らないですかね。
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今回の訳のポイント
この詩のポイントは、何と言っても、そのタイトルです。そう、the Yoshiwaraです!
吉原に、なぜ the がつくのか。
まず、the とは、相手が「あー!あの〇〇ね!」と認識できるものにつくものです。なので、地理的な地域区分で言えば、Yoshiwara でいいのですが、相手も「あれのことね!」と認識できる、特別な意味合いを持つ界隈ということで言うと、The Yoshiwara となります。つまり、The Yoshiwara の意味するところとしては、地理的な吉原でなく、花街としての「吉原」ということになります。
そんなことを考えていると、詩人エイミー・ロウエルと同時代の日本にもいました。天才的な女性の文学者が!
吉原遊郭近くに暮らし、わずか1年半ほどで次々と傑作を生みだして24歳の若さで亡くなってしまった、樋口一葉!
彼女が残した珠玉の短編の数々が、まさにこの詩の風情と情緒を表しています。例えば、『わかれ道』という作品の結末の場面を読んでみてください。電車の中では読んではダメです。涙がぼろぼろとこぼれてしまうので!
20歳余りのお京がお妾さんになって長屋から出て行ってしまうというので、仲良くしていた傘屋の吉少年が涙目でふてくされている。それを、お京が諭す場面です。
何も私が此処を離れるとてお前を見捨てる事はしない、私は本当に兄弟とばかり思ふのだものそんな愛想づかしは酷からう、と後から羽がひじめに抱き止めて、気の早い子だねとお京の諭せば、そんならお妾に行くを廃めにしなさるかと振かへられて、誰れも願ふて行く処では無いけれど、私はどうしてもかうと決心してゐるのだからそれは折角だけれど聞かれないよと言ふに、吉は涕の目に見つめて、お京さん後生だから此肩の手を放しておくんなさい。
樋口一葉『わかれ道』
これが書かれたのが明治29年1月ですよ!こういった人たちひとりひとりの物語の上に、今の東京があるのだと思うと、一歩一歩をますます踏みしめて歩きたいなと思います。