第176回 宝石がほしくなったときに思い出す詩
真珠にルビー、ダイアモンド。
宝石は、そのきらめきで、わたしたちを魅了します。
そんなときに「真珠なんていらない」という詩を読んでしまうと、宝石よりもっと素敵なものがあると思えてしまうんです。
その素敵なものとは何なのか。まあ、読んでみてください。
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‘Tis little I — could care for Pearls
Emily Dickinson
‘Tis little I — could care for Pearls —
Who own the ample sea —
Or Brooches — when the Emperor —
With Rubies — pelteth me —
Or Gold — who am the Prince of Mines —
Or Diamonds — when have I
A Diadem to fit a Dom —
Continual upon me —
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真珠なんていらない
エミリー・ディキンソン
真珠なんていらない
広い海はわたしのものだから
ブローチなんていらない 至高の存在が
ルビーの雨をわたしに降らせるから
黄金なんていらない わたしは鉱山王
ダイアモンドなんていらない だってわたしは
天空にかかる王冠の持ち主
見上げればいつもそこにあるから
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「真珠なんていらない」という、最初のひと言が素敵ですよね。
高価な宝石なんていらない。なぜなら、自分はもっと素敵なものに恵まれているから。そんな思いが全編を貫いています。
‘Tis little I — could care for Pearls —
Who own the ample sea —
真珠なんていらない
広い海はわたしのものだから
この、主張+理由の組み合わせが、ぶっ飛んでいて、恋に落ちざるを得ません!
「真珠なんていらない」のは、真珠を育む海が自分のものだから、というのが理由。真珠は高価な製品ですが、自分はもはや生み出す側に回ったのだと!
宝石と言うと、わたしたちは多くの場合、消費者という立場から、加工された製品としての宝石を手に入れます。しかし、それをすっ飛ばして、真珠を育む海の存在の方に思いを馳せるとは!
考えて見れば、砕ける波のしぶきの一粒一粒もまた真珠のような輝きを放っていますよね。
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自然の事物に恵まれていれば、宝石なんていらない、というのは、真珠だけにとどまりません。
「ブローチなんていらない」のも、ルビーの粒のような雨に恵まれているから。黄金もダイアモンドもいらないのは、朝日や夕焼け、星々の輝きが空にあるから。
わたしたちは、豊かさを外に求めがちです。もちろん、お金を出せば、高価な製品を手に入れて生活を豊かにすることが可能です。
しかし、雨をルビーと思えて、朝日や夕焼け、頭上の星々の煌めきをダイアモンドの王冠と思える心があれば、つまり、自らの内なる心に豊かさが見いだせたら、どんなに幸せなことなのだろうと思います。
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今回の訳のポイント
宝石と自然の両方のイメージが編み込まれた、短くシンプルな詩。
宝石は人工的に加工されてきらびやかな商品になりますが、自然はありのままの姿で美しい輝きを放ちます。
そんな自然の美しさに目を向けることができたら、宝石なんてなくてもいいというのが、この詩の美しいメッセージになっています。その中でも、やはり冒頭が素敵ですよね。
‘Tis little I — could care for Pearls —
Who own the ample sea —
真珠なんていらない
広い海はわたしのものだから
ここでの訳のポイントは、名詞を動詞的に、動詞を名詞的に、という常套テクニック。
「わたしは海を所有している」ではただの地主になってしまいます。そうでなく「広い海はわたしのもの」という風に名詞的に。そうすると、言葉運びが一気に引き締まります。短く美しい詩だからこそ、キレのいい言葉で、宝石のようなきらめきを表現したいですよね。
そうしているうちに、真珠の話をしながらも、ザザーンと砕ける波のしぶきと、そこでちらちらと揺れる光を感じられませんか。
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