第108回 馬鹿力が発揮されたときに思い出す詩
人間は追い詰められたときに信じられないような力を発揮することがあります。
秘められた力があったのか、状況がそうさせたのか、そんな不思議な力に自分でも驚いたときに思い出す詩があります。
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April
Sara Teasdale
The roofs are shining from the rain,
The sparrows twitter as they fly,
And with a windy April grace
The little clouds go by.
Yet the back-yards are bare and brown
With only one unchanging tree
I could not be so sure of spring
Save that it sings in me.
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四月
サラ・ティーズデイル
雨に光る屋根
さえずり飛び立つ雀
四月の風は たおやかに吹き抜け
ちぎれた雲を乗せていく
裏庭はと言うと わびしく何もなく
ただ一本の木が変わらずに
春なのかな 分からない
でも わたしの中には春がいて
歌っている
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詩の前半は、春の穏やかさを、もっとも優しく表現するとこうなるというお手本のようです。
The roofs are shining from the rain,
The sparrows twitter as they fly,
And with a windy April grace
The little clouds go by.
雨に光る屋根
さえずり飛び立つ雀
四月の風は たおやかに吹き抜け
ちぎれた雲を乗せていく
咲き乱れる花も、山を染める瑞々しい青葉も出てきません。
しかし、雨に濡れる屋根と飛び立つ雀、雲を運ぶたおやかな風、それだけで、穏やかな陽の光に暖められた春の空気感が伝わってきます。
ここまでであれば、春は穏やかだというだけの詩で終わってしまいます。
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しかし、読み進めると、そこにはYet「けれども」という不吉なサインが!「近づくな危険!」的な、危うさが漂っています。
警告を無視して、詩の後半に入ると、出ました!ネガティブワードの攻撃!
Yet the back-yards are bare and brown
裏庭はと言うと わびしく何もなく
外界は、春の世界に浮足立っているのに、自分の世界は陰鬱な空気に包まれています。
どんなに風がやさしくあたたかく吹いても、痛む心は少しも楽になりませんし、大切な人が苦境を脱する手立てを与えてはくれません。いじめっ子はいなくならないし、病気は治らないし、不正も腐敗もなくなりはしません。
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そんなことを考えると、思わず弱気な言葉が漏れてしまいます。
I could not be so sure of spring
春なのかな 分からない
不運と不幸に苛まれるとき、世界は暗く冷たく不寛容な牢獄のように、わたしたちの世界を閉ざしてしまいます。
どこにも救いがないように思えたり、抜け出す道が見つからなかったり。しかし、外の世界に絶望して追い込まれたとき、ふと自分の中に湧き上がる感情が見つかることがあります。
Save that it sings in me.
でも わたしの中には春がいて
歌っている
心の中で咲く春は、愛であったり、希望であったり、はたまた怒りであったりするのですが、それは心を突き動かすスイッチのようなものなのかもしれません。
世の中の不正義に対する怒りの激情であれ、小さき人を愛おしむ愛情の爆発であれ、衝動に駆られて、勝手に手足が動く感覚。
一晩中つきっきりで看病したり、間違っていることは間違っていると宣言したり、憑りつかれたように猛然と仕事を終わらせたり、子どもの一人や二人を抱えてダッシュしたり。
わたしたちの中には春がいて、苦しいときほどその歌声は大きく、わたしたちを前進させてくれるのかもしれません。
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今回の訳のポイント
最後の一行が、最高に素敵ですよね。
Save that it sings in me.
でも わたしの中には春がいて
歌っている
Save that「ということを除いて」なので、春なのかどうかわからない苦しさの中でも、自分の中に春がいることだけは確かに感じられる。
わたしの中とは、どこなのか。抽象的な心の中なのか。しかし、何かに突き動かされるように感じるときの、身体の芯が熱くなるような感覚を思うと、身体そのもののなかに春が宿っているようにも思えます。
詩の良いところは、少ない言葉で多くを考えさせてくれるというところです。この短い詩でも、幸せな春の一日から、心の一瞬の芽吹きまで、多くのことを感じさせてくれます。ニコッと笑ってくれただけで無限の幸せを感じさせてくれたり、目に浮かんだ涙の意味を考えさせられたり、詩という友人をもつ幸せですね。