第97回 形見の品が出てきたときに思い出す詩
形見の品を、大切な人から引き継ぐことは、光栄なことです。
誰にもそんな風に大切にしている品が一つやふたつあるものです。個人的には、曽祖父の着物用の外套が何よりも大切な形見の品となっています。冬にその外套を出すときはいつも、大切にしよう、大事に使おうと思います。
そんなときに、思い出す詩があります。
*****
I held a Jewel in my fingers —
Emily Dickinson
I held a Jewel in my fingers —
And went to sleep —
The day was warm, and winds were prosy —
I said ” ‘Twill keep” —
I woke — and chid my honest fingers,
The Gem was gone —
And now, an Amethyst remembrance
Is all I own —
*****
わたしは宝石を握りしめた
エミリー・ディキンソン
わたしは宝石を握りしめた
そして眠りについた
暖かな一日だった 風はやさしく吹いた
これからもずっと そうつぶやいた
目が覚めて 素直すぎるこの指を叱った
宝石はどこか行ってしまった
今はただ 紫水晶の思い出だけが
残る
*****
大切なものだからと、大事に大事に手に握っていても、失ってしまうこともある。でも、思い出はいつまでも残る。
この詩はそう主張しています。
しかし、それが形見の品であったら、失ってしまったときには、悔やんでも悔やみきれませんね。
I woke — and chid my honest fingers,
目が覚めて 素直すぎるこの指を叱った
昨日まではそこにあったものが、今日にはもう姿を消してしまっている。大切なものを握りしめる手は、それが明日もその中にあると何の疑いも持っていないので、喪失があまりにも突然のように思えるのです。
そして、後には思い出だけが残る。しかし、思ってしまうのです。手に握ることができないものを、どれほど思い出として心に留められるのだろうかと。
どんなに思い出が残るとしても、かけがえのない、お金で買うことのできないモノは、失わずに、この手に握っていたい。そう思う自分は、まだまだ詩人になりきれないようです。
*****
今回の訳のポイント
言葉の数が少ないミニマムなディキンソンの詩は、英語であればそのひと言を見るだけで多くを理解できるような単語が鍵になることがあります。
The day was warm, and winds were prosy —
暖かな一日だった 風はやさしく吹いた
prosyとは、prose「散文」の形容詞なので、直訳すると「散文的」となります。「散文」の反対は「詩」でしが、両者の違いとは何でしょう。
*****
詩というと、自由な発想で想像力の翼を広げるというロマンチックな側面を意識してしまいますが、西洋の伝統的な詩の考え方にはもう少し違った側面があります。
それは、ポール・ヴァレリーというフランスの詩人もコンセプトとして言及しているのですが、詩とはリズム、変化を含むリズムだという点です。韻など決まったリズムがある中で、読みながら予期できないこともあるのが詩となります。
となると、詩という営みには、ある種の緊張感が生じることになります。一方、散文はそうしたリズムは存在しません。よって、従うべき規則もなく、緊張感もない。
詩的な人は、豊かな発想があるけど、確固たるその人らしさがある。だから、そこはかとなく緊張感も漂う。散文的な人は、こだわりがないので刺激に欠けるけど、おだやか。
だとしたら、散文的な風は、「やさしい」のではないかと思います。
【英語力をアップさせたい方!無料カウンセリング実施中】
これまで1700社以上のグローバル企業に通訳・翻訳・英語教育といった語学サービスを提供してきた経験から開発した、1ヶ月の超短期集中ビジネス英語プログラム『One Month Program』
カウンセリングからレッスンまですべてオンラインで行います。
One Month Program