第91回 思い切り泣きたいときに思い出す詩
思い切り泣きたいときがあります。
大切な人のことをふと思い出したり、失ったものを取り戻せないことに、心底悲しくなったり。
でも日常生活を送らなければいけないので、顔はいつも笑顔。
そんなときに思い出す詩があります。
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At Ease
Walter de la Mare
Most wounds can Time repair;
But some are mortal — these:
For a broken heart there is no balm,
No cure for a heart at ease —
At ease, but cold as stone,
Though the intellect spin on,
And the feat and practiced face may show
Nought of the life that is gone;
But smiles, as by habit taught;
And sighs, as by custom led;
And the soul within is safe from damnation,
Since it is dead.
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平穏
ウォルター・デ・ラ・メア
たいていの傷は時が癒してくれる
ただ 致命的な傷もある 例えば
傷ついた心には 芳しい香りも意味がないし
穏やかな心にも 治す薬はない
平穏だとしても 岩のように冷たく
頭をどんなに働かせても
どんなに取り繕っても
失った命の輝きは取り戻せない
でも笑顔がある 習慣で身についてる
ため息もつく 逆らえないな
心の奥にある その魂は安全だ 地獄行きにはなりはしない
なぜって もう死んじまってるからな
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「時が癒やしてくれる」のは、確かに事実かもしれません。心の痛みも、その記憶も、日常を送る中で、だんだんと薄れていく。
しかし、中にはmortal「致命的な」傷もあります。どんなに楽しい思い出を積み重ねても、どんなに穏やかな日常を送れるようになっても、ずっと痛む古傷のような、心の傷があります。
どんなに外向けには、at ease「平穏」を装っても、心はcold as stone「岩のように冷たく」、the intellect spin on「頭を使って」理屈で納得させようとしても、生き生きとした心は、that is gone「取り戻せない」ものなのです。
でも、人間というのは不思議なもので、smiles「笑顔」でいたりできるものなのです。しかし、気づくとふと、sighs「ため息」が漏れてしまうこともあるのです。
どんなに悲しんでいたって、damnation「地獄行き」になるわけでもあるまいし、と気休めを言うと、最後に、とどめのひと言が繰り出されます。
Since it is dead.
なぜって もう死んじまってるからな
その心はもう死んでしまっているので、地獄も天国もあったものじゃないと。ウォルター、あんたって人は、容赦ないな。
タイトルは、At Ease「平穏」としておきながら、それはあくまでも取り繕った外見で、心にぽっかり空いた穴は埋められないのだと。
今回の訳のポイント
この詩はとっても皮肉が効いていて、「傷ついた心を癒そうとしても無駄だ」、「おまえの心はもう死んでいる」と容赦がありません。
For a broken heart there is no balm,
No cure for a heart at ease —
傷ついた心には 芳しい香りも意味がないし
穏やかな心にも 治す薬はない
一番心に響くのは、笑顔で穏やかな自分を装っていても、心は死んでいるので、もう手の施しようがないのだという、強烈なひと言です。
ふとした瞬間に思い出すひとコマ、例えば、病室や食卓や、交わした言葉や共有した経験のことをふと思うと、急に目頭が熱くなる。帰って来ないものは帰って来ない、そう分かっていても泣いてしまう心も、同じように、もう帰って来ないのだと。
取り繕って笑顔でいることはできる。でも、転んで膝小僧を擦りむいた子どものように、人目を憚らずに、大声で泣きたいときもあるのです。