第88回 妄想が止まらなくなったときに思い出す詩
ふと考え事をしていると、芋づる式に次々と連想がつながっていき、最初に何を考えていたか分からなくなることがあります。
あるひとつのことをきっかけに、関連することを思い浮かべていくと、頭の中のイメージだけが大きくなっていきます。
わたしたち人間は、思考する動物として、こういった無駄なことに時間を使う特権があるのですが、そんな妄想をしていると思い出す詩があります。
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Autumn
Thomas Ernest Hulme
A touch of cold in the Autumn night—
I walked abroad,
And saw the ruddy moon lean over a hedge
Like a red-faced farmer.
I did not stop to speak, but nodded,
And round about were the wistful stars
With white faces like town children.
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秋
トーマス・アーネスト・ヒューム
ひんやりとした秋の夜
外を歩いていると
生垣のむこうに赤い月が見えた
赤ら顔の農夫のような月が見えた
話しかけはしないけど 頷いた
ぐるっと一面に浮かぶ物憂げな星たちは
白い顔をした街のこどもたち
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月の模様は、うさぎに見えたり、蟹に見えたりすると言われます。
秋の夕暮れに、橙色の月が昇っていくのを見ていると、月の模様がいろいろなものに見えてきます。
秋は収穫の季節、すると、収穫=農夫という連想によって、 the ruddy moon「赤い月」が、a red-faced farmer「赤ら顔をした農夫の顔」に見えてきます。
さすがに話しかけはしませんが、人の顔に見えたので、思わず月に向かってnodded「頷いて」しまったりもします。
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そして夜空には星が浮かびます。どこかwistful「物憂げな」感じがするのは、何故でしょうか。
ここでもイメージの連想が続きます。暗い夜空に浮かぶ星の白い光は、すすけた街に浮かぶ子どもたちの顔の白さなのだと。
イギリスの炭鉱町特有のすすけた感じなのか、こどもの快活さを表すのか、詩は明確にメッセージを伝えてはいません。
ただ、空に浮かぶ月を見ているだけなのに、収穫作業に汗を流す農夫の顔や、すすけた街の暗さや、子どもの白い顔が思い浮かんでしまう。
まさにイメージという力のなせる業ですね。
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今回の訳のポイント
ロマンチックな詩では、月の様々な側面を取り上げて、月讃歌とするのが定番なのですが、イメージの詩になると、この詩のように、目に飛び込んできたものを起点に様々な連想をして、イメージを膨らませていくことになります。
英語の詩では20世紀初めになって、こうした詩が流行り出すのですが、このタイプの詩を読んでいると、日本の和歌のことを思い出さずにはいられません。
1000年ほど前から、日本の和歌はイメージの詩を作りつづけてきました。
秋=月と言えば、こんな和歌を思い出します。
荒れはてて月もとまらぬわが宿に秋の木の葉を風ぞふきける
(詞歌和歌集・平兼盛)
すっかり荒れ果ててしまったわが家には、月さえも留まろうとしてくれない。風が吹くと秋の紅葉を葺いていくことだよ。
「とまらぬ」は、東から西へ休まず「止まらず」に運行する月のことを歌いつつ、わが「宿」という言葉からの連想で、わが家を訪れて「泊まる」人もない孤独を歌っています。
「ふきける」は、風が「吹く」ことで、秋の木の葉が屋根に降り積もって「葺いた」ように見えるという、孤独を際立たせるような秋の錦の鮮やかさを歌っています。
言葉一つを見ただけで次々と浮かぶ連想があって、このように短い詩の中にイメージと連想をギュッと詰め込んでいるのが、和歌なのです。
こうした和歌の数々を読むと、日本にもイメージ力の豊かな土壌があるのだと、感動します。
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