第81回 頭が疲れたときに思い出す詩
目覚めてから眠るまで仕事のことを考えていたり、誰かのひと言が気になって頭から離れなかったり、世の中や生活に気がかりなことがあったり。
わたしたちは、そうやって常に頭を使っています。考えることに、頭を使うことに疲れたときに思い出す詩があります。
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O come with me, thus ran the song
Emily Brontë
O come with me, thus ran the song,
The moon is bright in Autumn’s sky,
And thou hast toiled and laboured long
With aching head and weary eye.
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さあ、いらっしゃい
エミリー・ブロンテ
さあ、いらっしゃい。歌に導かれ
秋の空に月は眩しく輝く
あなたは骨折り長く働いた
痛む頭と疲れた目をして
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この詩が素晴らしいのは、疲れたからどうしろということは、一切言っていないという点です。
ただ、秋の月が輝き、そんな夜まで、あなたはボロボロになるまで、考え、そして働いてきたんだねと言っているだけです。
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頭が疲れたときに聞きたいのは、「考えすぎるな」ではないと多くの人が言います。
考えないことのほうが問題で、納得行くまで考え抜きたいと言います。
分かりやすく、お手軽な情報が手に入る世の中にあって、答えが出せない問題の重さは変わっていません。
そんなときに聞きたいのは「考えすぎるな」でなく、「考えてるんだね」という言葉なのだと。
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「考える」ことがなぜそんなに尊いのかということについては、フランスの哲学者パスカルの言葉以上に素晴らしいものはないのではないでしょうか。
『パンセ』という作品の中で、次の文から始まる一節が、秋の月のように眩しく輝いています。
L’homme n’est qu’un roseau le plus faible de la nature
人間は一本の葦でしかない。自然界で最もか弱い存在だ。
それが意味するところを、彼は順に述べていきます。
人間は葦のようで、ポキっと折られて死んでしまう、大きな自然の前ではなすすべもない、最弱の存在だと。
しかし、そんな無力な人間は、考えることができる。そして、死ぬということを知っている。これは、人間以外の事物にはできないこと。
だから、人間の尊厳は、考えることにあるのだと。
人間は葦のように弱く取るに足らない存在だと卑小化するのでもなく、思考する人間は偉大だとナルシズムに陥るのでもなく、「考える葦」である人間を描いています。
人に何と言われようと、頭を悩ませること、眠れぬ夜を過ごすこと、どれも尊いなと思えてきます。
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今回の訳のポイント
詩の味わいのひとつに、関係のないことがひとつの文脈に並べられるというのがあります。
この詩でも、「秋の月」と「あなたは骨折り働いた」ということに、直接的には何の関係もありません。
しかし、秋の夜が連想させる、長い夜の静けさと、コツコツ働くという真摯な佇まいには、通じるものがあるのではないでしょうか。
誰の目にも明らかな眩しい月明かりと、誰の目にも見えない思考や頭の痛み。そんなコントラストも感じられます。
わたしたちの思考には際限がありませんが、こうしたコントラストを伝えるには、4行で十分だというのが、詩の素晴らしさであり、この詩のようにただ寄り添って言葉をかけてくれるところが、詩というものが友人といえる所以なのです。
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