第75回 生きるパワーが湧いてきたときに思い出す詩
ほんの小さな変化が、日常に活力を与えてくれることがあります。
それ以外は何ひとつ変わっていないけれど、その存在によって、生活にメリハリが生まれる、そんな変化です。
それで思い出す詩があるのですが、「僕はテネシーに壺を置いた」という一行で始まる奇妙奇天烈な詩です。
荒野。丘。壺。そういったものをイメージして読んでみてください。
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Anecdote of the Jar
Wallace Stevens
I placed a jar in Tennessee,
And round it was, upon a hill.
It made the slovenly wilderness
Surround that hill.
The wilderness rose up to it,
And sprawled around, no longer wild.
The jar was round upon the ground
And tall and of a port in air.
It took dominion everywhere.
The jar was gray and bare.
It did not give of bird or bush,
Like nothing else in Tennessee.
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壺奇譚
ウォレス・スティーブンス
ぼくは壺をテネシーに置いた
丸々とした壺を丘の上に置いた
そうしたら、だらしのない荒野が
丘を取り巻くことになった
荒野は丘にひたひたと迫り
四方八方に広がった
手に負えないとはもう思わない
丸い壺は 地上に
すくっと立ち 口を開けていた
壺はあたり一帯を支配したんだ
飾り気のない灰色の壺がだ
でも、鳥も茂みも生み出せはしなかった
テネシーにあるものは何も
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この詩のどこが、生きるパワー、生活のメリハリなんだという声が聞えてきそうですが、ちょっと考えてみてください。
テネシーのなだらかな丘や草原がいくつも連なる様子、それはそれで美しいのですが、どこを切り取っても、草と空。焦点は絞られません。
そんな景色に、いきなり壺があったら。しかも、丘の上に!
思わずカメラを向けたくなりますよね。
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壺があることで、丘や平原の続く景色が違って見えるように、それまでは、ただ漫然と眺めていた景色に、明らかに軸が生まれ、視線が吸い寄せられる。
食卓にある新しいお皿、子どもに着せた新しい服、鏡をのぞいた自分の新しい髪型、新しく知り合った人からのメッセージ。
生活という景色の中のたった一つの変化。他は何も変わっていないけど、昨日まではなかったけど、今はあるもの。それだけで、メリハリが生まれる。
たった一つの壺が景色を支配するように、昨日とは違う何かに突き動かされて、今日を生きるような感覚。
病室のベッドに横たわる人が、自分の姿に気づいたときに返してくれた、一瞬の目の輝きのようなパワーを連想します。
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なぜ壺?なぜ丘?なぜテネシー?と謎だらけではありますが、日常に突然現れ、ドスンと置かれた壺。自分の日常をわしづかみにした壺。
そう考えてみると、今までいろいろな壺が人生にあったなと思いを馳せてしまいます。
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今回の訳のポイント
この詩を文学史的に読み解くと、もう少し分析的な読み方になります。
アメリカ文化における「荒野」は手つかずの自然であり、「文明」と明確に対比されます。そんな荒野に、人工物であるgray and bare「無機質な灰色の」壺が現れる。
統制がとれ整然とした人工物と違い、森や原野はslovenly「だらしなく」wild「無秩序」に広がっていきます。しかし、そこには豊饒さがあります。一方で、人工物である壺は、bird or bush「鳥も茂みも」、テネシーという土地にあるものを、何ひとつ生み出すことはできません。
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人工物である壺と手つかずの荒野。対照的な描写が2行ごとに繰り返され、壺の話をしたと思ったら今度は荒野。荒野と思ったら壺。そんな劇的な視点転換が続き、映像的世界に引き込まれていきます。
「最初に壺を置いて退場した君はどこの誰なんだ!」という謎は残されたままですが、想像力があれば、目の前の丘に壺を置くことだってできるという想像力讃歌に聞こえて、結局は、実体としての鳥も茂みも生み出せないと締めくくられ、皮肉も効いています。
この詩が書かれたのは1919年。ちょうど100年ほど前ですが、I placed a jar in Tennessee「ぼくは壺をテネシーに置いた」というこのエキセントリックな一行だけで、時空を超えて詩の世界に飛び込めますね!
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