第63回 心がボロボロになったときに思い出す詩
どんな苦しみや悲しみも自分を成長させてくれる肥やしになる。
そう言われます。
作物を育てるためには、豊かな土壌が必要です。
耕し、種を播き、収穫する。
このサイクルを繰り返す耕作地のように、心もまた耕し、種を播いて、実りを待てばいい。そんな心の再生の詩があります。
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The Broken Field
Sara Teasdale
My soul is a dark ploughed field
In the cold rain;
My soul is a broken field
Ploughed by pain.
Where grass and bending flowers
Were growing,
The field lies broken now
For another sowing.
Great Sower when you tread
My field again,
Scatter the furrows there
With better grain.
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耕作地
サラ・ティーズデイル
わたしの心は 暗い耕作地
冷たい雨に濡れた耕作地
わたしの心は でこぼこの耕作地
苦しみが耕した耕作地
草花が頭を垂れ
伸びいていた
今はでこぼこの土地が
種まきを待っている
あなたは種蒔き人
この畑にやってきては
畝を立て種を蒔いていく
今度はよい実りがあるだろうか
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自分の心を耕作地に例えたとき、今はどの段階にあるのか。
この詩の冒頭では、収穫が終わった後の、暗く雨に濡れたでこぼこの耕作地のイメージが描かれています。
光も見えず、涙に濡れた、そんな心の状態そのものですよね。痛みと悲しみの結果、ボロボロになってしまった心のように、傍目には、でこぼこで不恰好に見える。
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かつて、その耕作地にはたわわに実った作物が頭を垂れていて、収穫が終わった今は、種蒔きを待っている状態。
ここで、「そうか」と気づきます。ただのでこぼこの地面であれば、雨に濡れ、未来もなく、ただ荒廃していくのを待つだけです。
しかし、ここで描かれている土地は、耕作地。今はでこぼこでも、また種が蒔かれ、時間をかけて、再び実りを待てばいい。
そんな自分の心に播かれる種。きっと今度の種は、良い種だろうと期待をして待つ。
雨風吹く自然と同じように、人生もいつも穏やかではない。どんな実りがあるかわからないけれど、心はただボロボロなのではない。
「耕した」ということにしておけば、何だか少し希望が見える気がします。
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今回の訳のポイント
作物が育つためには、豊かな土壌が必要です。土に水と空気を送るために、耕し、種を蒔き、豊かな実りを待つ。
心も同じように、放置していては、水はけが悪くなり、健康が失われます。だから、心も耕す。
Scatter the furrows there
With better grain.
畝を立て種を播いていく
今度はよい実りがあるだろうか
この箇所を訳すのが非常に難しいです。「scatter 場所 with もの」という形なので、「畝立てをしてもっと良い種を播く」という意味です。
「もっと良い種」と言ってしまうと少し直接的で味気ないなと思いました。
自分の人生に降りかかる様々な出来事を種として、耕した心に未来を育てる。そう考えると、種が芽を出し、伸びた先にある良い実りを期待する気持ちなのではないか。
苦しみや悲しみもあったけれど、「よし耕すのは終わった。今度はこの種で良い実りがあるといいな。」
そう思えたら、でこぼこの地面のような心も、そんな心に降る雨も、吹きつける風も、照りつける太陽も、全て、未来のためにあるように思えてきませんか。
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