第50回 人生の選択に迫られたときに思い出す詩
あのとき別の選択をしていたら、今ごろ自分はどうなっていただろうか。
誰もがそんなことを考えたことがあるのではないでしょうか。
人生は選択の連続で、その度に最良の選択をしようとします。
人生を左右するかもしれない選択肢に揺れている、そんな岐路に立つと思い出す詩があります。
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The Road Not Taken
Robert Frost
Two roads diverged in a yellow wood,
And sorry I could not travel both
And be one traveler, long I stood
And looked down one as far as I could
To where it bent in the undergrowth;
Then took the other, as just as fair,
And having perhaps the better claim,
Because it was grassy and wanted wear;
Though as for that the passing there
Had worn them really about the same,
And both that morning equally lay
In leaves no step had trodden black.
Oh, I kept the first for another day!
Yet knowing how way leads on to way,
I doubted if I should ever come back.
I shall be telling this with a sigh
Somewhere ages and ages hence:
Two roads diverged in a wood, and I—
I took the one less traveled by,
And that has made all the difference.
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選ばなかった道
ロバート・フロスト
黄色に染まる森で 道が二つに分かれていた
残念だが 二つの道を行くことはできない
旅を続けてきたが そこでしばらく立ち止まった
見えそうなところまで 一方の道を 目を凝らして見た
道がその先で折れて 茂みに消えていくところまで 目を凝らして見た
それで もうひとつの方の道を選ぶことにした
最初に見た道に劣らず いやもっとよい選択に思えた
草は生え放題 誰かが通るのを待っているように思えた
とは言え 分け入ってみると
どちらも同じように踏み固められていたのかもしれないとも思えた
あの朝 どちらの道も同じようにそこにあり
草に埋もれ まだ踏み固められていなかった
もう一方の道は また次の機会にしておこう!
でも 進むべき道はひたすら前へ向かっていて
決して戻って来ることはないだろうとも思った
ため息まじりに きっと僕は語るだろう
いつのころだったか 遠い昔に
森に ふたつに分かれた道があって 僕は
人が選ばない方の道を選んだのだと
それで人生は大きく変わったのだと
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人生は選択の連続で、ひとつひとつの選択によって、その後に見える景色が全く異なってきます。
この詩では、道が二手に分かれているところで、立ち止まって、それぞれの道の先を見定めようとします。人生と同じで、ある程度先までは見通せますが、その先となると道が折れて、どこへ向かうのか分からなくなります。
この詩を有名にしている理由のひとつは、そうやって選択を迫られたときに、選んだのが grassy and wanted wear「草は生え放題 誰かが通るのを待っているように思えた」道だからのようです。
人があまり選ぶことのない道、進むべき道がはっきりと見えていない道を歩むことのかっこよさ。そんな我が道をゆくことのかっこよさに人は惹かれるようです。
しかし、この詩がもっと面白いのは、その次です。
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自分としては、他の人があまり選ばない道を選んだという矜持がありながらも、ひょっとすると、Had worn them really about the same「どちらも同じようなものだった」かもしれないという疑念が生じてきます。
それで、今回はこちらの道を選んだけれども、また次の機会には、もう一方の道も行ってみようと思うわけです。しかし、それもまた考えてみると、I doubted if I should ever come back.「決して戻って来ることはないだろう」と、これまた疑念が生じるのです。
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人生の選択肢が目の前にあって、一つを選ぶ。今はこれを選んだけれど、もう一方は、また別の機会にしてみようと思う。
けれど、今えらんだ道を歩み始めると、違うものが見えてきて、興味や関心の対象も変わっていく。すると、あのときあれほど悩ませたもう一方の選択肢に、もどってくる必要性がなくなるかもしれない。だから、一方を選んだということは、もう一方をあきらめたことになるのかもしれない。
だから、自分が下した決断は間違っていなかったはずだと、自らに言い聞かせるように、And that has made all the difference.「それで人生は大きく変わったのだ」という言葉で、この詩は締めくくられます。
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今回の訳のポイント
この詩は、最後の3行のインパクトが大きすぎて誤解されることも多いようです。
Two roads diverged in a wood, and I—
I took the one less traveled by,
And that has made all the difference.
森に ふたつに分かれた道があって 僕は
人が選ばない方の道を選んだのだと
それで人生は大きく変わったのだと
ここだけを見ると、多くの人が選ぶ道でなく、他人が選ばない道をあえて行くこと、そのかっこよさだけが強調されてしまいます。
しかし、この詩が一層胸に熱く響くのは、決断のために立ち止まって思わず目を凝らして先行きを考えてしまう悩み、一度歩み出すとどちらを選んでも同じようなものだったかもと思えてしまう虚しさ、そして、選ばなかった道に戻ることはないだろうと人生を受け止める覚悟です。
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人生の岐路に立たされたとき、後悔しないように、最善の選択ができるように、懸命に情報を集めて考え悩んだりします。
でも、上空からパラシュートで飛び降りる最良地点を選ぼうとしているうちに、飛び降りるタイミングを失ってしまうような気持ちになることがあります。
それは決して臆病なのではなく、懸命に判断材料を集め、道路を渡る前に右と左を見るように、前(過去)と後ろ(未来)を見て、意識的な判断を下そうとする人の性であると思います。
しかし、森の道が茂みに埋もれていくように、やはり先のことは分からないものなのです。
そして、選ばなかった方の人生の進路については、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のように、そのときに戻ってやり直すこともできません。
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哲学者アルベール・カミュは「自分は自殺すべきか。コーヒーを飲むべきか」と言っています。つまり、人生のあらゆる瞬間は選択の連続で、それらすべてに対して慎重で意識的な決断を下そうとすると、かなり負担を感じるということです。しかし、決断の自由を奪われるのは、それはそれで嫌なわけです。
それで、少なくとも、自ら決断をしたのだ、己の道を選んだのだという矜持を、あれは良き決断だったのだという意味をもたせたいと思うのです。
そんな時に、And that has made all the difference.「それで人生は大きく変わったのだ」と自分に言い聞かせるものなのだと感じます。
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人生の岐路に立って、最良の選択をしたいがためにタイミングを逃す恐さについては、詩人シルヴィア・プラスの自伝的小説『ベル・ジャー』のなかのイチジクの木の比喩が、わたしは痛いほどわかり、恐くなって思わず本を放り投げたくなったりします。その一節を要約するとこんな感じです。
イチジクの木の枝にまたがって、いちばんいい実を選ぼうと悩んで決断しかねているうちに、ひとつまたひとつと熟れすぎた実が落ちていってしまう。ひとつを選ぶということは、ほかのすべてを失うことだ。
このなような言葉が、「選ばなかった道」についてもあれこれ考えてしまう、欲張りなわたしには警句となっています!
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