第46回 好きだった人の面影が甦るときに思い出す詩
何か些細なことをきっかけに、ある出来事の全体が思い出されることがあります。
または、思い出として心にしまってある瞬間はたくさんあるのに、なぜかとてつもなく些細なことが突然思い出されることがあります。
あんなに大切だったひとなのに、今ここにはいない寂しさ。
そんなときは、その人が確かにそこにいた過去と、もういない現在を対比させた詩を読んで、思い出の力で心を暖めることにしましょう。
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On the Doorstep
Thomas Hardy
The rain imprinted the step’s wet shine
With target-circles that quivered and crossed
As I was leaving this porch of mine;
When from within there swelled and paused
A song’s sweet note;
And back I turned, and thought,
“Here I’ll abide.”
The step shines wet beneath the rain,
Which prints its circles as heretofore;
I watch them from the porch again,
But no song-notes within the door
Now call to me
To shun the dripping lea
And forth I stride.
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玄関先で
トーマス・ハーディ
雨が軒先のステップを濡らし輝かせていた
標的を狙うような環を描いては 震え交わっていた
玄関を出ようとしたそのとき
部屋の奥から 高まっては途切れる
甘い歌の調べが聴こえた
振り返って そして思った
「ここで待っていよう」
軒先のステップは雨に濡れ光っている
変わらずに環を刻みつけている
今もこうして玄関から眺めている
でも ドアの向こうから あの歌は聞こえず
こう言ってくれることもない
「雨に濡れた草地なんて行かないでね」
さあ行こう
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玄関先に落ちた雨粒がつくる環、重なるように交わる姿が、あの頃のふたりを思い出させる。
そぼ降る雨の音を越えて耳に届く、ピアノの音色に乗せて響く、あの人の歌声。
それに耳を傾けるため、しばし玄関に佇む。
こんな瞬間、人生にありますよね。その人の存在を感じられるやさしい瞬間。その人が近づいて来る温かな気配。
だから、そっと佇んで待つ。
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詩の前半は過去形ですが、後半は現在形になって、その人がいた過去と、いない現在が対比されます
自然は変わらずに雨を降らせますが、玄関先に佇む自分には、以前のような温かな息遣いが聞こえてこない。
待っていても仕方ない。ひとり歩むしかないという決意で、詩は幕を閉じます。
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作者トーマス・ハーディ自身が最愛の妻を失った後に、このように面影を辿るような詩を多く書いています。
過ごした時間は長いのに、ふと思い出されるのは雨の日の玄関先での一瞬のこと。
一瞬のことだからこそ、カメラのように鮮明にすべての印象を閉じ込めることができるのかもしれません。
大切な人と過ごすあの瞬間やこの瞬間を、瞼の裏に焼き付けておきたいものです。
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今回の訳のポイント
トーマス・ハーディの詩や小説には、イングランド南部の方言が多く登場します。
英語の原書であっても、巻末に方言の単語集がついていたりもします。
その多くは農村生活に根差した言葉で、素朴な家々と放牧地のイメージを湧き上がらせてくれます。
今回の詩では、To shun the dripping lea「そぼ濡れる草地なんて行かないでね」という一行だけで、雨に煙ってなだらかに伸びる牧草地、その境界に線を引くような石垣や生垣が雨に濡れる様子が思い浮かびます。
詩は短いですが、一気に過去のあの瞬間へと飛んで行ける。今目の前には見えないものを、瞼の裏に甦らせてくれる。
イメージする力。人間の偉大な力ですね!
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