第41回 新しい年を迎えるときに思い出す詩
大晦日。
旧い年に別れを告げて、新しい年を迎える。
ただ、ある一日が終わって、また朝日が昇るだけのことでしかないのですが、人は区切りをつけたがるようです。
そんな区切りとも言える大晦日が、世紀をまたぐ大晦日ならなおさらですよね。
最近では2000年に、20世紀を振り返るような特集が組まれたり、ミレニアムに沸き立ったことがありました。
では、もうひとつ前のミレニアムはどうだったのでしょうか。1900年の大晦日に書かれたという詩を見てみましょう。
少し長いのですが、旧世紀と新世紀のコントラストを味わうには全文を読まざる得なく、、、過ぎ去った世紀の爪痕と、新たな世紀の希望が象徴的に描かれているというのですが、そんなシンボルを感じることができるでしょうか。
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The Darkling Thrush
Thomas Hardy
I leant upon a coppice gate,
When Frost was spectre-gray,
And Winter’s dregs made desolate
The weakening eye of day.
The tangled bine-stems scored the sky
Like strings of broken lyres,
And all mankind that haunted nigh
Had sought their household fires.
The land’s sharp features seemed to me
The Century’s corpse outleant,
Its crypt the cloudy canopy,
The wind its death-lament.
The ancient pulse of germ and birth
Was shrunken hard and dry,
And every spirit upon earth
Seemed fervourless as I.
At once a voice arose among
The bleak twigs overhead,
In a full-hearted evensong
Of joy illimited.
An aged thrush, frail, gaunt and small,
With blast-beruffled plume,
Had chosen thus to fling his soul
Upon the growing gloom.
So little cause for carolings
Of such ecstatic sound
Was written on terrestrial things
Afar or nigh around,
That I could think there trembled through
His happy good-night air
Some blessed Hope, whereof he knew,
And I was unaware.
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黄昏のつぐみ
トーマス・ハーディ
雑木林の門にもたれていると
霜は 死霊のように灰じみていて
冬の淀みは わびしさを増し
陽のまなこは 弱々しいかぎりだ
空に刻まれる からまった蔦の線
それは まるで壊れた竪琴の弦
あたりをうろうろしていた人々は
誰もが うちの暖炉の火を求めていった
峻厳な大地は いわば
前世紀の傾いだ屍
雲の天蓋は その納骨堂
風は その挽歌
古びた萌芽と誕生の気配は
堅く干からびてしまった
大地の上の生命の気配もまた
わたしと同様 血気を失った
ふと聞こえるのは 小鳥のさえずり
それは頭上の侘しい梢にあった
胸いっぱいに夕べの歌を響かせる
それは歓喜の旋律
やせ細り年老いたつぐみは
吹く風に逆毛をたてながら
魂を高ぶらせているではないか
暮れなずむ夕空に
果たして大義などあろうものか
こんなにも嬉々としたさえずりの歌
物の本にもなかろう
其処此処にあるものでなかろう
うち震えし何か
心地よい夜風を渡る何か
希望という恵みを 知っていたのだろうか
わたしは知る由もなかったのだ
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前半は、The Century’s corpse「前世紀の屍」をキーワードに、陰鬱で荒涼とした社会のイメージが並べられています。そして、後半に入ると、carolings「鳥のさえずり」が聞こえてきて、人間社会のことなどお構いなしに歓びの歌を響かせる、そんなthrush「つぐみ」が希望の象徴となっています。
1900年12月31日に振り返ることと言えば、19世紀後半の社会の変化。急速な工業化・都市化と、ダーウィンの『進化論』に象徴されるように、規範的宗教観が揺らいだ時代です。そんな時代に、相反する様々な価値観の狭間で、人々は混迷の時を過ごしました。
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前半は、規範的宗教観の崩壊と社会の荒廃をイメージする言葉が並びます。
まず、まず冒頭で、 a coppice gate「人の手が入って管理された森林地」の境界に佇んでいて、田園と都市の不穏な対立を感じさせます。
そして、strings of broken lyres「壊れた竪琴の弦」では、詩歌芸術の象徴である竪琴が、The tangled bine-stems「絡まった蔦のつる」に成り下がってしまっています。
そんな世の中で、sought their household fires「わが家の暖炉の火を探し求める」かのように、人々は安心できる真理を求めて彷徨います。
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そして遂には、The Century’s corpse「前世紀の屍」と、とどめを刺します。
The cloudy canopy「雲の天蓋」はits crypt「納骨堂」に、the wind「風」はits death-lament「挽歌」にと、救いようがありません。
典型的な詩では、秋や冬の寂しさもは、やがて巡りくる春の訪れを遠まわしに象徴することもありますが、The ancient pulse of germ and birth「古びた萌芽と誕生の気配」も干からびてしまい、進歩・発展の芽が潰えたことを象徴しています。
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と、ここまで絶望的な有様を描写してきたのですが、ふと小鳥のさえずりが聞こえたことで、詩は急転回を見せます。
つぐみが高らかにさえずり、 fling his soul「魂の高ぶり」を感じさせるのです。carolは讃美歌のようなもので、soul「魂」というキーワードとともに、宗教的な雰囲気も感じられます。
つぐみが歓びの歌をさえずるのには、So little cause for carolings「大義など必要ない」のです。
人は、作為的に理由づけを行い、その大義に則った行動をとろうとしますが、自然界の生き物たちにとって、そのようなものは必要ないのです。
こうして、社会の荒廃を見つめていたところに、自然界の素朴な歓喜の歌が聞えたことで、ふと我に返ります。
そして、気づくきます。Some blessed Hope, whereof he knew, / And I was unaware.「希望という恵みを 知っていたのだろうか / わたしは知る由もなかったのだ」ということに。
何よりつらいのは、自然界が知りうる希望を、自分は知る由もなかった、そんな絶望感でこの詩が終わっていることです。
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今回の訳のポイント
この詩は、小説家でもあり、詩人でもあったトーマス・ハーディの思想を、象徴的に表現しています。
彼の作品の特徴のひとつは、それら人間の感情を巧みに自然の事物に重ねあわせたことです。
この詩でも、前世紀の屍を安置するits crypt「納骨堂」が、The cloudy canopy「雲の天蓋」に、its death-lament「挽歌」は、the wind「風」として歌われています。
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そして、価値観の対立が、多くの作品で鋭い緊張を生み出しています。
トーマス・ハーディ自身、故郷の牧歌的農村生活と、都市生活者としての暮らしとの価値観の対立を、もっと普遍的には、ありのままの「自然」と人為的な「社会」との相克を内面に抱え、それを多くの傑作小説でテーマとしました。
単に、都会と田園を対比させるのでなく、彼の小説では登場人物が都市と田園を行き来する中で、自らの内面で価値観の対立を経験します。
地域社会や階層、宗教によって従うべきとされていた規範と違って、白黒をつけることができないのが人間の本来の感情であり、それを表にすることによって、登場人物が、筋書きの見えないドラマに引きずり込まれていく。
100年経っても変わらない、人間が経験する普遍的な内面の葛藤。まさに、文学という芸術が、人間のために存在する理由ですね。