第38回 冬を迎えるときに思い出す詩
秋が深まると、日は短くなり、吹く風は冷たさを増します。木々は葉を落とし、どんよりとした空気が垂れ込めます。
自然界が冬支度を始めると、辺りは秋から冬にかけてのうら寂しさに包まれます。
しかし、詩人にとっては、それは歓喜に満ちたものに映るようです。
「うら寂しさ=喜び」という謎の公式がなぜ成り立つのか、次の詩を読んでみましょう。
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Fall, leaves, fall; die, flowers, away;
Emily Brontë
Fall, leaves, fall; die, flowers, away;
Lengthen night and shorten day;
Every leaf speaks bliss to me
Fluttering from the autumn tree.
I shall smile when wreaths of snow
Blossom where the rose should grow;
I shall sing when night’s decay
Ushers in a drearier day.
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散りなさい、木の葉よ。散りなさい、枯れてしまいなさい。花よ、さようなら。
エミリー・ブロンテ
散りなさい、木の葉よ。散りなさい、枯れてしまいなさい。花よ、さようなら。
夜は長く、日は短く。
木の葉たちは、喜びをわたしに語る。
秋の木々からひらひらと舞い落ちる。
わたしは微笑む。雪の花輪が、
薔薇の代わりに花開くとき。
わたしは歌う。夜が力を失い、
もっと侘しい昼の訪れを告げるとき。
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詩の冒頭で、葉が散るのを急かすかのように、言葉が並んでいますね。葉が散ったあとの、冬の訪れが待ちきれないかのようです。
Lengthen night and shorten day;「夜は長く、日は短く。」とあるように、暗く寒い冬がやってくる。木々は葉を落とす。
それだけを考えると、冬の訪れは歓迎できるものでないように思えます。
しかし、Every leaf speaks bliss to me「木の葉たちは、喜びをわたしに語」り、しかもバサバサと散るのではなく、Fluttering from the autumn tree. 「ひらひらと舞い落ちる」
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わたしたちは、明るく暖かいものを良として、暗く寒いものを悪として考えてしまいがちです。
しかし、しっかり葉を落とし冬を迎えること。そんな季節の移り変わりを、確かに感じているのだとしたら。
人の世は、喧騒にまみれ、混迷乱擾のありさまであっても、自然界は変わらないリズムで営みを続けている。
そんなことに思い至るなら、冬を迎えることは喜びとなるかもしれません。
そうして暗く寒い冬を感じると、薔薇が咲くところが雪に覆われても、夜が明けてもっと侘しい一日がやってきても、ウキウキが止まらなくなるのです。
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今回の訳のポイント
この詩を印象深くしているのは、相反する語を並べる、oxymoron「撞着法」です。
木の葉は舞い落ちてしまうのに、喜びを語る。薔薇ではなく一面雪が覆ってしまうと、微笑んでしまう。夜よりもっと侘しい一日の訪れに、歌を口ずさんでしまう。
普通の人が見過ごしてしまうものに、美や喜びを見出すという詩人のこころがよく表れていますね。
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エミリー・ブロンテは、「夜空を見上げて叫びたくなったとき」や「ひとりになりたいとき」などの詩があるように、荒野を友として生きた人です。
ひとが敬遠するような、暗きものや重たきものに価値を見出して、美しい言葉で高らかに歌い上げる。真の詩人だなとつくづく思います。
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温もりと賑やかさに溢れた生活だけが、人間らしい生活とも言えません。暗く重たい生活に縛られてしまうことも、時にはあります。
生活にどっぷり浸かってしまって、楽しさが見えなくなってしまったとき。自分の思い込みによって、身動きがとれず窮屈な思いがするとき。
そんなときは詩人のこころで、意外なものに宿る美や喜びを見つけて、夜よりももっと侘しいという昼を謳っていたいものです。