第35回 長生きしたいと思ったときに思い出す詩
長生きできるなら、長ければ長いほどいいと考えがちです。
しかし、よくよく考えてみると、長く生きるほどに多くの人が亡くなってゆくのを見送ることになってしまいます。
どんなに長生きできたとしても、そうした喪失感に果たして耐えられるでしょうか。
そんなことを考えると、思い出す詩があります。
悲しい詩は、涙無しに読めなくて、いつも困るのですが、、、まずは読んでみてください。
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Wise
Lizette Woodworth Reese
An apple orchard smells like wine;
A succory flower is blue;
Until Grief touched these eyes of mine,
Such things I never knew.
And now indeed I know so plain
Why one would like to cry
When spouts are full of April rain—
Such lonely folk go by!
So wise, so wise—that my tears fall
Each breaking of the dawn;
That I do long to tell you all—
But you are dead and gone.
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賢者
リゼット・ウッドワース・リース
林檎の樹々はワインのように香る
小さな花々は青く染まる
それも喪失の哀しみが
この目を曇らせるまでのこと
自分には縁がないと思っていたの
でも今ならよくわかる
人がなぜ泣くのか
4月の雨が若葉を濡らす
そんな季節に孤独な旅人はゆく
そうだね そうだよね
よくわかるよ 涙が溢れてしまう
朝日が昇るごとに
みんなに伝えたい
でもみんなここにはいない
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う〜ん、困りました。涙に曇って、筆が進みません。
長く生きるほどに、失う人の数も増える。分かち合いたいことがあっても、その人たちはもういない。
そんな悲しい真実が、草花のイメージとともに描かれていて、心までしっとりと濡れてしまいそうです。
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作者リゼット・ウッドワース・リースは、「わたしという花びらは 引きちぎって」の詩のように、草花をシンボルとしてよく使いました。
この詩の冒頭では、林檎の芳しい香りや、花々の鮮やかな色彩が描かれます。しかし、それらとの強烈なコントラストをなすように、喪失の悲しみが押し寄せてきます。
外面上は、どんなにふつうの暮らしを送っていても、ふとした瞬間に、大切な人への思いに襲われて、涙がこぼれる。心には、心の時間が流れているかのように。
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最終行では、But you are dead and gone.「もうここにはいない」と、失った大切な人たちへの思いが溢れます。
何かを分かち合うことが、もうこれ以上できないのだという孤独感。そして、大切な人は胸の中にいて、目を閉じて心の中で会うときに感じる温もり。
涙がこぼれてしまうのは、きっと、この寂しさと温もりのせいなのでしょうね。
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今回の訳のポイント
とても難しいのが、So wise, so wise—that my tears fallという行です。
Wiseは「ものごとがよく分かっている」という意味であるので、そのトーンで考えてみたいところです。
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Wiseとは、人生経験を通じて知恵を得た人が醸し出す何か、大人の達観と落ち着きのようなものでしょうか。
「人はいつか命を終えるものだ」「彼らは二度と戻ってこない」「人生とはそういうものだ」
こうした人生の真実を真に実感したとき、And now indeed I know so plain「今ならよく分かる」と思えたとき。
そんなとき、涙とともにこぼれる言葉は、So wise, so wise「そうだね。そうだよね。」だと思います。