第31回 思いやりがあるひとに出逢ったときに思い出す詩
言葉が、乱暴で刹那的な現代です。
自分の発する言葉への責任などないかのように、思いつきの言葉が飛び交っています。
言葉を受け取る側のことは考えずに、ただ言葉が投げつけられ、そうして、人同士の隔たりが広がっていく。
一方で、言葉を選び、言葉を受け取る側のことを大切にする人たちがいます。
そんなことを考えると思い出す詩があります。
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A Word is Dead
Emily Dickinson
A word is dead
When it is said,
Some say.
I say it just
Begins to live
That day.
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言葉は死ぬ
エミリー・ディキンソン
言葉は死ぬ
口から発した途端に
そう人は言う
わたしは思う
命が宿る
そのときに
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思いやりがあるひとは、自分の利益にならなくても、ひとのために手を貸したり時間をつくったり、ひとの話にしっかりと耳を傾けたり、そんな性質がありますが、自分自身が何を言いたいかではなく、相手がどう思うかをまず考えるように思います。
その背景には、言葉に対する姿勢の違いがあるようです。自分から発せられた言葉は、自分の手を離れたときに、命を失うのか、それとも命を宿すのか、まったく逆の考え方がこの詩では対照されています。
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思いやりがなく独善的であると、自分が何を言いたいかに主眼があって、相手がどう受け止めて理解するかは、考慮に入れません。言葉として表現した時には、もう役割を終えているのです。
一方で、相手がその言葉を読み取ってやっと役割を果たす、それが、自分の口から発せられて初めて言葉に命が宿ることの意味のようです。
自分の口から発せられたときにはまだ赤ん坊で、相手の頭や心のフィルターを通して吸収され、やがて理解されたときに花を咲かせるイメージでしょうか。
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相手に自分の言葉を理解してもらおうと考えると、まずは相手を理解する必要が生じます。
思いやりある人が、そうやって、一生懸命に言葉を選び、弾を込めて火縄に火をつけるタイミングを見計らっている間に、特に狙いを定めない、投げやりで独善的な言葉の弾丸に襲われることがよくあります。
日常という戦場で、思いやりある人の言葉は命を失いそうになりますが、詩は生命の息吹を与えてくれます。
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言葉は、様々な思い出と結びついたり、異なる解釈をされたりして、それぞれの人の心の中に根を下ろします。
言葉には、人とのつながりを生む力があり、豊かな可能性をもつ種子として、ただ自分の心にとどめておいてはもったいないなと思います。
乱暴で思慮浅い言葉が氾濫する今、思いやりある人の穏やかさや優しさも、しっかりと世界の光に照らして芽を出させるべきだと、この詩を読むといつも考えてしまいます。
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今回の訳のポイント
エミリー・ディキンソンの詩は、平易な言葉で箴言的な教訓を語ることがよくあります。
この詩もその一つで、簡素な言葉遣いに、深い真実が感じられて、言葉はサラッとしているのに、お腹にドスンと落ちてくる感覚があります。
サラッとした言葉運びという点では、今回の詩の核心部分にポイントがありました。
I say it just/Begins to live/That day.「わたしは思う/命が宿る/そのときに」のjustです。
言葉を放っておしまいではなく、発せられたその時にit just begins to live「やっと命を宿すにすぎない」と、言葉は死ぬどころかやっと始まるにすぎないということを、サラッと強調しています。
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エミリー・ディキンソンの詩は、重いテーマだからといって小難しい言葉を使うことなく、平易な言葉運びのセンスにいつも解放感を覚えます。
そんなエミリー・ディキンソン自身は、生前はわずか数編の詩を発表しただけでした。
死後にクローゼットから2000近い詩編が発見され、今では英語詩の代表的人物となっていることに、いつも胸が熱くなります。