第26回 悲しみにくじけそうなときに思い出す詩
小さな悲しみから大きな悲しみまで、わたしたちは、生活の中で悲しみに襲われることがあります。
悲しみを振り払おうとしても、かえって頭の中で何度も考えてしまい、悩みは深まるばかりで、抜け出すことができなくなってしまうことがあります。
そんなときに思い出す詩があります。海からの風にさざ波を打って揺れる一面の麦畑を思い浮かべて、この詩を読んでみてください。
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Like Barley Bending
Sara Teasdale
Like barley bending
In low fields by the sea,
Singing in hard wind
Ceaselessly;
Like barley bending
And rising again,
So would I, unbroken,
Rise from pain;
So would I softly,
Day long, night long,
Change my sorrow
Into song.
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麦のように
サラ・ティーズデイル
麦は倒れそうになりながら
海辺の低い畑で
強い風にさざめいている
決して止むこともなく
麦は倒れそうになりながら
また立ち上がる
わたしも決して挫けることなく
痛みから立ち直ろう
わたしもやさしく歌おう
昼も夜も風に吹かれながら
かなしみは
歌にしてしまおう
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畑の麦は、いつも強風にあおられて、傾いでしまいます。その様子は、深い悲しみや悩みに、頭を垂れているかのようです。
しかし、麦は傾けども倒れはしません。風に波打って揺れながら、いつもさざめいています。
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この詩では、麦畑の波のようなさざめきを、「歌」と捉えています。
一見すると、風にあおられて倒れそうな、可哀相な麦たちなのですが、決して倒れることなく昼も夜も、さざめきという歌を響かせていると。
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わたしたちの生活でも、人生の強い風に負けそうなときがあります。
外的な力によって、自分というものが捻じ曲げられそうなことがある。しかし、決して負けることなく、倒れることなく自分らしくありたい。
そんな悲しみや苦しみを、うめき声でなく歌にしてしまおう。この詩は、そう呼びかけています。
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例えば、何か辛いことがあったときに、友人に「こんなことがあってさあ」と、笑い話として話すだけで、どこか心が軽くなる感覚。
心をざわつかせる悩みや悲しみも、「歌」というパッケージに入れてしまえば、一旦心の外に出すことができる。頭の中で堂々巡りをしていた、もやもやした思いも、やさしい歌になる。
そう思えれば、波立つ人生も、やさしい歌に満ち溢れた素敵な麦畑になりそうです。
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今回の訳のポイント
英語と日本語の語順の違いが、訳す上での大きな障害になります。
オリジナルの英語の行と同じ順で、日本語に訳すことを自分に課しているのですが、今回は苦労しました。
日本語では長い修飾部のあとにトピックを置きますが、英語ではトピックが先に来てから内容が展開されます。
今回の詩では、冒頭にLike barley「麦のように」とあってから、情報が付け加えられていますが、英語の行と同じ流れで訳しつつ日本語の自然さを維持するために、敢えて「〜のように」という言葉を外しました。
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風にたわむけれど倒れはしない一面の麦畑のイメージと、挫けずに頑張ろうという思いが、シンプルな詩の中でうまく重ねられていますよね。
人生の強い風に吹かれたときは、必死に倒れまいとするのですが、その苦しいうめきをやさしい歌にしてしまおう。
そうやさしく力強い訴える詩に、沈みそうだった心がいつも救われます。