第20回 詩人になりたいと思ったときに思い出す詩
詩は、みんなのもの。誰もが詩人。
そう固く信じているのですが、「さすが詩人は違うねえ」と言われたりすると、「詩人」的なものって何だろうと考えたりします。そんなときに思い出す詩があります。
自分の中の「詩人」が目覚める、そんな感覚を与えてくれるような詩なのですが、、、世界の全てを思い切り吸い込むような気持ちで読んでみてください。
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Auguries of Innocence
By William Blake
To see a World in a Grain of Sand
And a Heaven in a Wild Flower,
Hold Infinity in the palm of your hand
And Eternity in an hour.
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無垢のゆくえ
ウィリアム・ブレイク
砂粒ひとつに 世界を見て
野の花ひとつに 天国を見る
そのために 君はその手に 無限の宇宙をつかみ
ほんのひとときに 永遠の時をつかむんだ
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この詩は、長大な詩の冒頭部分で、砂粒や野の花という小さなものに、大いなるものを見ることの大切さを説いていますね。
無垢の子どもに、どう生きるべきかを説いていますが、短い詩行に詩の精髄が詰まっているように感じます。
そのメッセージを読み解いてみたいと思います。
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ひとは、おいしい料理でお腹を満たし、愛情のこもったやさしさで心を満たします。しかし、不幸にも、これらが満たされないときが、人生にはあります。
そんなときには、砂粒のように自分は取るに足らない存在であるかのような気持ちになります。
また、世の中の人たちは物心両面で満たされ花束を愛でている一方、自分自身は、いつ風に散るとも分からない、名もなき野の花であるかのような心細さを感じるかもしれません。
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しかし、砂粒は、長い年月をかけて風に吹かれ海に洗われ堆積します。そうした歴史が一粒一粒に刻まれています。
わたしたち一人ひとりは取るに足らない存在かもしれませんが、多くの人に出会い経験を重ねて揉まれて、いまの姿があります。つまり、自分という存在には世界のすべてが刻まれています。
野の花は、名前はなくても、その土地の気候や土壌に適応し花を咲かせます。土地の記憶が、息づいています。目に見えているのは花ですが、そこに至るまでの過去を栄養としています。
一輪の花にもその花独自の魅力がある。それを思うと、一輪の花の先に、それぞれに異なるあらゆる花の姿が見えてきます。それは、何者にも代えがたい天国のようなものと言えます。
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このように、どのような小さな存在にも刻まれた歴史と、そこに宿る魅力を認めること。
どの砂粒も野の花も同じに見えているようでは、詩人への道は険しそうです。
逆に、見えているもの以上のことに想像力を働かせること、思いを馳せることができれば、宇宙も無限も手にすることができる。そう信じています。
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今回の訳のポイント
今回のポイントは「 a 」でした。the worldやthe heavenであれば、だれもが知っていてイメージできる「世界」「天国」ですが、この詩では、a Worldやa Heavenとなっています。
「 a 」には、読み手にはまだ未知でイメージできないような、または多く存在するもののうちの不特定のひとつという意味があります。
ここでは、実際の世界や天国というよりも、観念的なものをイメージできるようになっていますね。
短い文の中で、そのトーンを日本語にするのは非常に困難に感じました。
しかし、「小さきものに宿る大いなるもの」というコンセプトを通じて、詩人的な心の最も美しい側面を言い表していると感じます。