第19回 ひとりになりたいときに思い出す詩
ひとり。
この言葉は「孤独」や「孤立」を連想させますが、今回ご紹介する詩は、そのどれとも異なるコンセプトを伝えています。
作者エミリー・ブロンテは、しばしば荒野に身を置き、しがらみのない自由な想像力の世界で言葉を紡いだ詩人で、「ひとり」について多くを語っています。
頭を空っぽにして、荒野に立つ自分をイメージしながら、次の詩を読んでみてください。
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I’M HAPPIEST WHEN MOST AWAY
By Emily Brontë
I’m happiest when most away
I can bear my soul from its home of clay
On a windy night when the moon is bright
And the eye can wander thru worlds of light
When I am not and none beside
Nor earth nor sea nor cloudless sky
But only spirit wandering wide
Thru infinite immensity.
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わたしが何よりも幸せなのは
エミリー・ブロンテ
わたしが何よりも幸せなのは
魂が土くれのような肉体を遥かに離れ
月が煌々と照らす冬の夜
光あふれる世界をこの瞳が巡るとき
わたしというものも無く そばに人も無く
大地も 海原も 青空も 何も無く
ただ この心が 思いのままに
広大な無限の世界を駆け巡るとき
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今回は「ひとり」という言葉をキーワードにしていますが、「孤独」とも「孤立」とも違うコンセプトと思います。
周囲から距離を置く「孤立」とも、自分自身と向き合うための「孤独」とも違う「ひとり」とは、どんなものでしょうか。
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この詩の前半で、肉体は、心を閉じ込めている「土くれ」のようなものだと彼女は言います。
身体的境界を越えることで、時空を超えた遥か彼方へ、心を連れて行くことができます。
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詩の後半では、「わたしというものも無く」と、ひとりの時間での没入感覚をさらに突き詰めていきます。
現代のわたしたちが、荒野に立つ詩人と同じ感覚を味わえるのは、どんなときでしょうか。
我を忘れて何かに没頭しているとき、世の中や自分のあれこれを考えることなく、ただその瞬間を生きている感覚。
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山道を黙々と歩いたり、星々の間を吸い込まれるようにじっと眺めたり。
焦がさぬように、ひたすらやさしく玉ねぎを炒めたり、黙々とアイロンをかけたり。
そんなときは何にも縛られることなく、過去や未来を考えることもなく、ただ時間を、時の間を漂っています。
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この無我の境地では、何かについてじっと内省するような「孤独」とも違って、何にもつながっていない感覚を得られます。
現代のわたしたちは、様々な手段や機器によって、世界に常時接続されてしまっていますが、詩はそういった鎖を断ち切って、空っぽの世界へ導いてくれたりもするのです。
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今回の訳のポイント
英語を日本語に訳すとき、形容詞を名詞的に、名詞を形容詞的に訳すとしっくりくることがあります。
この詩の最終行で、infinite immensity「無限の広大さ」とありますが、「広大な無限の世界」としてみました。
時の狭間を心が彷徨うというロマンチックなコンセプトを、荒野という自然を題材に描いている、この詩の美しさ。
エミリー・ブロンテ自身は、ある別の詩で、a chainless soul「何にも縛られない魂」という言葉を使っています。そして、ストイックに、しかし執着なく生き、19世紀半ばに30歳でこの世を去りました。
大事なことは、人生の長さや出逢った人や経験の数ではなく、ものごとをどれだけ深く感じるか。それが、心に響く言葉を紡ぎ出せるかにつながる。そんな気がします。