第18回 詩を書きたくなったときに思い出す詩
誰かへの手紙やカードに添えて、詩を書いて贈ったことはありますか。
もちろん、わたしはあります!
詩を贈るなんて、と思うかもしれません。けれども、誰かに伝えたい気持ちがあって、たとえばそれが感謝の気持ちだとして、「ありがとう」のひと言では足りないとき。
そんなとき、詩の力を借りて、想いを伝えたくなったりするのです。
今回ご紹介する詩は、お見舞いに来てくれた友人へ、お礼に詩を、ということなのですが。。。
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To A Friend,
WHO SENT ME FLOWERS, WHEN CONFINED BY ILLNESS.
By Helen Maria Williams
WHILE sickness still my step detains
From scenes where vernal pleasure reigns,
Where Spring has bath’d with dewy tear
The blossoms of the op’ning year;
To soothe confinement’s languid hours,
You send a lavish gift of flowers,
Midst whose soft odours mem’ry roves
O’er all the images she loves.
Not long their sweetness shall prevail,
Their rosy tints shall soon be pale,
Yet fancy in their fading hues
No emblem of our friendship views;
Its firm fidelity shall last,
When all the flowers of spring are past;
And when life’s summer shall be o’er,
That summer which returns no more,
Still friendship, with perennial bloom,
Shall soften half the winter’s gloom!
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友人へ
病気療養中に花を贈ってくれたので
ヘレン・マリア・ウィリアムズ
病に臥せっていましたから
春を謳歌することもできませんね
春がその溢れる涙で
新しい年を迎えた花々を洗いあげたのに
塞ぎこんで過ごす物憂い時間
慰めにと贈ってくれた目が醒めるような花束
花々の柔らかな香りを縫って思い出が彷徨い
愛おしい追憶を掻き立ててくれます
甘美なときは長く続かず
薔薇色もやがて色褪せてしまうのですが
けれども 色々考えてみると
決して色褪せないもの それが
わたしたちの友情の証
固い絆はいつまでも続くから
春の花々が散り去って
夏がもう戻って来なくても
わたしたちの友情は また花を咲かせて
冬の憂鬱を和らげてくれるから!
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ヘレン・マリア・ウィリアムズは、19世紀のはじめに多くの私人宛の詩を残しています。
これは、お見舞いへのお礼ですが、詩の形式なので、最後はやはり、甘酸っぱい追憶を歌いつつ、締めくくられています。
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ロマンチックな響きは、ロマンチックな形容詞の効果ですよね。
vernal pleasure 「春の歓び」
dewy tear 「溢れるような涙」
languid hours 「物憂い時間」
a lavish gift 「華やかな贈りもの」
soft odours 「柔らかな香り」
rosy tints 「薔薇色の濃淡」
fading hues 「褪せていく彩り」
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やさしくてやわらかい言葉が、水彩画のように想いを彩ってくれますね。
言葉が、乱暴で浅薄な現代だから、こういう滋味深い言葉に惹かれるのかもしれません。
丹精込めて丁寧に作られた料理を口にしたときに、体中に染み渡る優しさのような感覚ですね。
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今回の訳のポイント
この詩は、お見舞いのお礼に書かれたものですが、直接「ありがとう!」と言っているわけではありません。
ひとのやさしさが、心の琴線にどう触れたのか。それを丁寧に言葉にすることで、感動の深さを伝えています。
今回は、です・ます調の訳で、やさしくやわらかい雰囲気を強調してみました。
詩であれ手紙であれ、「思い」を文字にするまでには時間がかかります。しかし、だからこそ思いを込められるように感じます。
もし「愛情」というものが、「ある人のために費やす時間」のことだとするなら、時間をかけて言葉をえらび、何らかの文章にして人に伝えようとする営みには、より多くの思いやりと愛情が込められている。そう言えるかもしれません。