第7回 何も成し遂げていない自分に落ちこむときに思い出す詩
子どものころ思い描いていたおとぎ話のような夢。大人になって得た知識や技能を使って実現してみたい野望。人から求められるものに貢献したいという使命感。
かたちは何であれ、わたしたちは何らかの成し遂げたいものを心に暖めて生きていますが、そのすべてがすぐに花開くわけではありません。
それどころか、ただただ毎日を生きることに精一杯で、人生の限られた時間を無駄にしてしまっているのではないかという不安すら感じることがあります。
そんな時に読みたいのが、19世紀のアメリカで広く読まれた詩人、ヘンリー・ワーズワス・ロングフェロウの『道半ば』です!
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Mezzo Cammin
By Henry Wadsworth Longfellow
Half of my life is gone, and I have let
The years slip from me and have not fulfilled
The aspiration of my youth, to build
Some tower of song with lofty parapet.
Not indolence, nor pleasure, nor the fret
Of restless passions that would not be stilled,
But sorrow, and a care that almost killed,
Kept me from what I may accomplish yet;
Though, half-way up the hill, I see the Past
Lying beneath me with its sounds and sights,—
A city in the twilight dim and vast,
With smoking roofs, soft bells, and gleaming lights,—
And hear above me on the autumnal blast
The cataract of Death far thundering from the heights.
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道半ば
ヘンリー・ワーズワース・ロングフェロウ
自分の人生がもう半分過ぎてしまった
なすがままに歳月を重ねてしまった
そして叶えられていないことに気づく
若いころは希望が確かにあった 築き上げたかった
燦然と輝く歌の金字塔を
怠けていたのでもない 楽しいことばかり追いかけたのでもない
情熱に駆られ落ち着くことのなかった心の焦燥だろうか
いや 悲しみが 不安が 駄目にしてしまった
成しえたことがあったかもしれないのだ
いや まだこの上り坂の半分だ ふと見ると「過去」が
足元で音を立てている はっきりとこの目に映る
遠くで黄昏に霞む街
煙たちのぼる煙突 かすかに響く鐘の音 ゆれる街の灯り
そして頭上には 秋の風が吹く
「死」という大嵐が 遠く高いところで 轟音をとどろかせている
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過去の後悔と未来への不安。完全にドツボにはまった人間の嘆きですね。誰しも、人生のある瞬間に同じような気持ちに襲われることがあるかと思います。
この詩の最も胸に響く行は、「怠けていたのでもない 楽しいことばかり追いかけたのでもない」ですね。
仕事であれ生活であれ、自分なりにやれることはやったし、そのために我慢したり、または自分のことを後回しにせざるをえなかったことがある。そうまでして頑張ってみたものの、「人生って思った通りにいかないなあ」というもどかしさですね。
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詩の後半では、人生の半ばに差し掛かったところで、後ろ(過去)と前(未来)を見ています。
後先考えずに、ひたすら「今」に没頭できれば楽になると分かっていても、今までこうだったから、でもこうなる可能性もあるしなど考えるばかりで、物事が先に進まないこともあります
「あれこれ考えていても時間の無駄だよ」と言う人もいるかもしれません。しかし、詩を読んでいると、考えることも悪くないなと思ったりもします。
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例えば、ふだんの生活を違った視点から眺めること。それによって、考えなければ味わえなかったような幸福感や、大切なものの価値に気づくこと。
埃をかぶってしまった自分の夢や野望を、もう一度暖めてみよう。本当に大切にしたい人や誇りを、本気で守ろう。そのきっかけは、家族や友人との会話かもしれないし、ニュースや何かの記事かもしれない。そして、詩を読むことかもしれない。
いつもと違う角度から物事を考えることで、現状を突破する方法が見つかったり、行動に移してみようという勇気が湧いてきたり。
考えることで得られるもっと大きな幸福感。それを信じて、これからも詩を紹介していきたいと思います!
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今回の訳のポイント
この詩のタイトルを見て、あれっ?と気づいた人は、かなりのイタリア文学好きのはずです。
というのも、この詩は14世紀に書かれたダンテの『神曲』を土台にしているからです。ロングフェロウ自身、イタリア語で書かれたこの大著を英語に訳しています。その冒頭に「道半ば」というキーワードが登場しますので、イタリア語ですが紹介します。
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Nel mezzo del cammin di nostra vita
mi ritrovai per una selva oscura,
ché la diritta via era smarrita.
人生という道 その半ばで
はたと気づくと 暗い森にいた
進むべき一本道を 見失ったのだ
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森は、正しい道を踏み外した者の居場所というのが定番の読み方ですが、人生ってそもそも森のようなもので、決まった道はないものですよね。
それぞれが人生という道なき道を歩みながら、落ち着ける場所を見つけたり、もっと新しいものを求めて探検しつづけたり。その過程で味わう悲しみも苦しみも、人生を美味しくしてくれるスパイスと信じ、一歩一歩進みたいものです。