達成感と反省と
久しぶりに、厳しい状況に陥っていた。
あるクライアントさんからご依頼をいただき、予想作業量は「仕上がり50ページ強」と伺った。他に抱えている案件もあったので、それがギリギリお受けできる量だと判断した。OKのお返事をし、原稿ファイル等々を送っていただく。先の案件を納品してからその案件に取り掛かって、しばらくして、そのクライアントさんが送って下さっていた納品予定表をじっくり見た(案件全体としてはどうやら数百枚の膨大なものらしく、その中で私が担当するものもいくつかのファイルに分かれており、分納になっていた)。
え、50ページじゃない。なんと、67ページもある。
頭の中でカタカタと計算する音が聞こえ始めた(ような気がした)。
今は木曜の午後、納品は月曜朝、しかし金曜日は息子の参観日で午前中はぜんぶつぶれる。土曜日は、使い捨てコンタクトの買い置きがなくなったので買いに行きたい。それに先週の週末もずっと仕事をしていたから、今度の週末は休みたかったな。でも50ページが67ページということは、当初の予定よりも丸1日は余計に作業日が必要、はっきり言って、週末をそっくりつぶしてやっとギリギリ……。
6つあるファイルのうち、1つだけでも他の翻訳者さんに回していただくようお願いしてみようか。いや、電話をいただいた時、担当の方はかなり厳しい案件らしい口ぶりだった。量が膨大な上に納期がタイト、珍しい話ではないだろうが、頼める翻訳者が充分確保できていれば、最初50強だった話が、断りもなく67にならないだろう。
そんなことを色々考えて、結局、全部自分でやることにした。
で、苦しんだ。
苦しんだ理由は他にもいくつかあった。
まず、最終クライアントから複数の用語集が届いていた。これがあると、ヒットしないことが多いと分かっていながら、一応、専門用語らしきものは、すべて確認しないといけない。載っていなければそれまでだが、用語集に載っている表現ならば必ずそちらを使わなければいけないからだ。例えば finish という名詞を調べたいとする。「仕上げ」という意味だけど、「〜塗り」かもしれないし、interior finish work なら、「内部仕上げ作業」ではなく「内装工事」だったりする。ぜんぶ、調べる。時間がかかる。
また、過去の類似の文書が参考文書として渡されていたが、日本語だけで原文の英語がない。つまり、用語や表現を日英でつき合わせて確認することができないから、日本語の文書に目を通して、自分が訳出する英語の訳語になりそうなものを拾い出す、という作業も加わるのだ。この推測作業、とても時間がかかる。日本語の参考文書から拾い損ねたまま自分で訳語をつけて作業を進めた後に、ふと、参考文書の中から該当しそうな訳語を発見し、もう1度全部修正する、なんていう作業も何度も入る。hinge を「丁番」と訳していたら、参考文書では「蝶番」になっていた、という具合に。
さらに今回は、内容が自分の得意分野と若干ずれていた(当初からクライアントさんもそのように仰っていた。だから余計、「翻訳者の都合が付きにくかったのかも」と推察してしまい、断り辛かった)。今回は、建築に関連するものだった。色々な部材やパーツ、工法の名前が登場する。
たとえば Restroom の項目に、Privacy Lock と Indicator Bolts なんていう表現が出てくると、手持ちの辞書には載ってないし、インターネットで検索をかけても簡単には日本語が出てこない。でも少し考えれば、ああ、Privacy だから、トイレの個室の内側からかけるカギのことで、Indicator 〜の方は、カギをかけたときに外から「あき/使用中」と表示が見える、あの部分のことだなと推測できる。でもそれって、専門用語で何ていうの? 参考文書にある? 用語集には? ないな、じゃあ……。
とまあ、こんな作業を繰り返すわけで、時間がかかることこの上ない。
途中で何度かくじけそうになった。いや、これでもプロなんで、引き受けた以上、くじけている場合じゃないんだが。
結局、週末返上、子どもを寝かせてからまたパソコンの前に戻り、眠気でダウンするまで作業を続ける……という日々を送った。
仕上がったのは、日曜日の真夜中、ちょうど0時だった。
ふ〜。できてよかった。
キツイ仕事をこなすと、自分の限界を少しだけ押し広げられたような気がする。
しかし反省もする。最初に仕上がり枚数を再確認しなかった。内容が自分の完全な守備範囲とは言えない場合、普通より時間がかかるのを見越して引き受ける作業量を決めるべきだった。甘かった。
そして、寝られるときは体力温存のために早く寝ておこう。
後でクライアントさんの担当の方から伺った。故意に50から67ページに増やしたのではなく、計算間違いをされていたそうだ。あ〜、やっぱ確認すればよかった。