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もっとまじめにやっておけば……

the apple of my eye

通訳・翻訳者リレーブログ

と、思うことは少なくない。
社会人になってから英国法の勉強を始めた頃、何度となくそう思った。
試験の前なんて1日中、トイレに行く時間を除けば起きている間中、食事の間すらテキストや判例集と首っ引き。睡眠時間は平均3時間。「あ〜、学生時代にこれだけ勉強していたら、私今ごろ、ものっ凄い大物になっていたわ」と、ありもしないことを考えた。
高校時代、大学受験を目前にしてのんびりダラダラしている私に向かって母が「もっとまじめにやれば」と小言。その時、私はこう言い放ったのである。「あのね、お母さん。努力できるのも才能のうち。私にはその才能がないのよ〜」と。
前置きが長くなったが、2週間前から苦しんでいた仕事のおかげで、またまた「あ〜昔もっとまじめにやっておけば」と思ったわけである。
どういうわけか、哲学系の論文を翻訳する仕事が回ってきたのだ。
いや、「どういうわけ」かは想像がつく。実はこう見えても(どう見えるか知らないけど)、大学の出身学科が「哲学科」。いえ、うちの大学、社会学科というのがなくて、哲学科の中に含まれているものですから。まあ、これも単なる言い訳で、だからと言って「社会学は任せて!」と言えるわけではない。要するに、学生時代に全く勉強しなかったクチなので。
それでも履歴書には一応、「○○大学哲学科社会学専攻」と書くものだから、きっとこの案件を下さったエージェントさんは、これに目をつけたわけだ。そういえば、就職活動の頃も行く先々で面接官に「哲学科ですか。カントとかヘーゲルとか?」と茶化され、「いえ、うちの教授はマックス・ウェーバーとジンメルでした」などと勝手な返事をしていたけれど、どれが何だか大して区別はついていなかった。
それにしても哲学系の学者さんというのは、仰りたいことを他人に理解してもらおうという気持ちで文章をお書きにならない。名詞・名詞句・名詞節の多用。主語が3行くらいの長さで述語が3語くらいとか。tendency (傾向) と言えば良いものを、わざわざ penchant というフランス語を使ったりもするし。
今回の論文は、ホワイトヘッドという1947年に亡くなったイギリスの哲学者の理論に関するものだったのだけれど、この人の言葉遣いがこれまた翻訳者泣かせ。たとえば、living person という概念には、ホワイトヘッド先生によると犬も含まれるのだという。犬だけではなく高等動物のすべてが含まれるらしい。となると、living person を「生きている人」などと訳しても、意味が通らないのでは? そいでもって、この living person の being と becoming は、dominant occasion of experience によって調整されているのだ、とある。なんとなく分かるようで分からない。翻訳の大命題は「読んでスッと頭に入る文章にする」ことであるが、こんな文章ばかりが続くものを「読んでスッと頭に入る文章にする」なんて無理。
あるいは、ホワイトヘッド先生はこの世の存在 (entity) のすべてが experiencing subject であり、object experienced by other entities であるらしい。電子からアスパラガス、人間、はては宇宙そのものまでが、experiencing subject なのだそうだ。フー。
こういった学術論文の場合は、上記のような living person とか being、becoming、dominant occasion of experience などの概念に、日本語で定訳があるかどうか調べなければならない。ところがホワイトヘッドは日本ではあまり有名でないため、辞書はもちろんのこと、インターネットで調べられるような日本語の文献も少ない。あっても英語と日本語が対訳で出ているわけではないものがほとんどで、日本語で書いてあることを読んでその中から「これに該当するかな」と推測できる表現を見つけなければならない。ああ、気の遠くなるような作業。
いや、もしかすると、私がもしも20年ほど前のあのキャンパスで、もう少しちゃんと勉強していたら、ここまで苦しまなかったのかも……。そうすれば、personality と personhood、alienation と estrangement、relation と relationality の訳し分けなんかも、すっすらすっす〜と出来ちゃったのかなぁ。

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記事を書いた人

the apple of my eye

日本・米国にて商社勤務後、英国滞在中に翻訳者としての活動を開始。現在は、在宅翻訳者として多忙な日々を送る傍ら、出版翻訳コンテスト選定業務も手がけている。子育てにも奮闘中!

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