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La Traviata

the apple of my eye

通訳・翻訳者リレーブログ

去る17日に、メトロポリタン・オペラの東京公演『ラ・トラヴィアータ』を観てきた。ヴィオレッタ役は「七色の声を持つ」といわれるルネ・フレミング。あまりの素晴らしさに、その直後にあたる前回のブログには書くことができないほど、なんというか、腰が抜けたようになってしまった。『トラヴィアータ』は全幕のCDも持っているし、有名な曲だけを集めたDVDやCDでも何度も聴いたことがあるが、生の舞台を通しで聴くというのはこれほどかと改めて思い知った感じだ。最初から最後まで泣きっぱなしで目も鼻もぐちょぐちょ、お化粧は無残にも崩れ去り、かなり恥ずかしかった。でもその日は1階席に皇太子ご夫妻が来られており、雅子様はこんなに泣くわけにもいかないだろうなと思うと、名もない平民で幸せかも。
このブログのお仲間 gattopardo さんはよくオペラの通訳をされるので、購入したパンフレットにお名前があるかと探してみたが、今回は違ったようだ。それにしても、こういう世界をお仕事にされるとは大変というか羨ましいというか。
オペラ『ラ・トラヴィアータ』の原作タイトルは『椿姫』。『トラヴィアータ』はヴェルディがオペラにするときにつけたタイトルで、「道を踏み外した女」という意味だそうだ。
デュマ・フィス(小デュマ)の原作を子供向けに書き直した翻訳本を子どもの頃に読んでいたが、貴族やお金持ちと付き合って贅沢に華やかに暮らしていたマルグリット(オペラでは「ヴィオレッタ」)が、アルマン(こちらも「アルフレード」)を恋人に選んだだけでどうして急に経済的に苦しくなるのかとか、上流階級の人と付き合えるのに、なぜアルマンの家族には受け入れられないのかとか、よく分からない部分も多かったように思う。小学生に高級娼婦がどんな身分なのかを分かれという方が無理だろうけど。

『椿姫』をモチーフにした映画がある。どちらも大好きな作品。
1つは『プリティ・ウーマン』。この映画で覚えた言葉が hooker(=売春婦)。企業買収で成功しているエドワード(リチャード・ギア)の弁護士が嫌な男で、ヴィヴィアン(ジュリア・ロバーツ)の正体が誰なのかしつこく聞いてくるため、エドワードが ”She’s a hooker. I picked her up on Hollywood Boulevard.” って言っちゃうのだ。弁護士は ”The only millionaire I ever heard of who goes looking for a bargain basement streetwalker!”と言って笑う。bargain basement streetwalker (特売品の売春婦)とはヒドイ言い方だ。hooker のほうは、通りで男を「引っかける」という意味からきているのだろうか。いずれにしても、安い売春婦、街娼をいうのだろう。
もうひとつの作品は『ムーラン・ルージュ』。自分に熱を上げる文学青年クリスチャン(ユアン・マグレガー)に、ムーラン・ルージュの踊り子サティーン(ニコール・キッドマン)が言う。”Christian, I’m a courtesan. I’m paid to make men believe what they want to believe.” この courtesan とは、hooker とか streetwalker とは種類が異なる、貴族や金持ちだけを相手にする高級娼婦を意味する言葉。椿姫はこちらの方だ。発音やスペルから元はフランス語だろうと見当をつけてみると、フランス語では courtisane と、若干スペルが違う。男性形の courtisan だと、宮廷人、廷臣という意味だそうだ。上流社会に巣くっている人々という意味では同じだったのかもしれない。
小デュマは、椿姫のように上流社会と付き合う女性たちのことを、demi-mondaine と呼んだらしい。monde には「世界」という意味の他に、「社交界」という意味もある。demi は「半分」。demi-monde は、「半分だけ社交界の世界」という、デュマの造語なのだ。英語で高級娼婦を意味する表現には、Fashionable Impures とか、Cyprians という言い方があったそうだ。
椿姫のモデルとなったのは、小デュマが若い頃に実際に恋に落ちたマリー・デュプレシという高級娼婦。13歳の時に父親に売られたマリーはパリに出た後、レストランのオーナーの愛人となり、劇場に出入りするようになってから多くの貴族の愛人になった。デュマとマリーは共に18歳の頃に出会い、マリーは23歳で結核で亡くなっている。
こういった高級娼婦はダニュエル・デフォーの『モル・フランダーズ』や、エミール・ゾラの『ナナ』など、数々の文学作品のヒロインにもなっているし、フランス国王ルイ15世の愛人ポンパドール夫人やデュ・バリー夫人も、高級娼婦から出世した。王の愛人となった女性たちには莫大な財産と貴族の称号が与えられ、その一族も貴族として取り立てられた人も多く、実際にイギリス貴族の家系を見ると先祖が王の愛人だったという家が少なからずある。トラファルガーの海戦で有名なネルソン提督の終生の愛人、レディ・ハミルトンも高級娼婦だ。ヨーロッパの歴史において娼婦たちの存在とその影響は無視することができない。いつだったか英国のチャールズ皇太子が何かのスピーチで「王族と娼婦は共に最古の職業で」と言ったとか。なんとも不謹慎な発言だが、正妻以外の女性にうつつを抜かすのは先祖からの伝統だから、娼婦や愛人の存在には寛大なのだろう。
前述の映画2作品のうち、『ムーラン・ルージュ』では、サティーンに裏切られたと思い込んだクリスチャンがサティーンにお金を投げつけ、”I paid my whore!” と叫ぶシーンがあるが、これは『ラ・トラヴィアータ』に全く同じ場面がある。サティーンは最後、ヴィオレッタと同様に肺結核で死んでしまうが、一方『プリティ・ウーマン』では、一旦はエドワードの下を去るヴィヴィアンをエドワードが高級リムジンに乗って迎えに行くハッピーエンド。このときバックに流れるのが『ラ・トラヴィアータ』のメロディ(途中でエドワードがヴィヴィアンをドレスアップさせてオペラに連れて行くが、その演目も『ラ・トラヴィアータ』)。こちらはきっと、もうひとつのモチーフとなっている『マイ・フェア・レディ』寄りなのだろう。競馬のシーンがポロの試合に、発音の訓練が品のいい身なりを整えたりテーブル・マナーを習ったりというシーンに置き換えられている。イライザがヒギンズ教授に拾われるのが、ロイヤル・オペラ・ハウスでの舞台がはねた後のコベント・ガーデンだ。
そんなこんな、色々なことを思いながら、実は新たに入手した『ラ・トラヴィアータ』の全幕DVD。そのロイヤル・オペラ・ハウスでの、アンジェラ・ゲオルギューのヴィオレッタである。生の舞台の余韻がもうちょっと引いてきたら、じっくり鑑賞したいと思う。

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記事を書いた人

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日本・米国にて商社勤務後、英国滞在中に翻訳者としての活動を開始。現在は、在宅翻訳者として多忙な日々を送る傍ら、出版翻訳コンテスト選定業務も手がけている。子育てにも奮闘中!

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