新しい言葉・古い言葉
翻訳修行の駆け出しの頃、「辞書の訳語に頼ってはいけない」といったことを、翻訳学習のテキストや何かでよく目にした。「だったら何のために辞書があるのだ」というハナシだが、実際に仕事をするようになると、これを痛感する場面が多い。
とある流通企業の依頼でアメリカのスーパーマーケットに関する資料を訳す仕事があった。売り場作りやその特徴を述べる箇所で、wokery という言葉が出てくる。辞書には載っていない。インターネットの検索をかけても、この単語の出てくる日本語サイトは1つしかヒットしない。それにも訳語なんて載っていない。こういうときは、刑事ものドラマのうけ売りではないが「現場に帰れ」=「原文に帰れ」である。
売り場の一部を写した写真の説明で、the Wokery to the left and the Pizza station to the right とある。その左に映っているのは、ファミリーレストランのサラダバーのような作りのカウンターで、残念ながら、そこで何が売られているのかまでは見えない。でも、右がピザ売り場か……。wokery で、英語のサイトではどんなものがヒットするかというと、レストラン、それも Chinese とあるものばかり。ああ、wok か! wok (中華なべ)と、bakery (パン売り場)を足した、造語なのだ。この店では中華料理と東南アジア料理の売り場をあわせて wokery と呼んでいる、と同じ文書の別の箇所から分かったけれど、まあアメリカ人って面白い造語をするのね、と思った次第。
打って変わって週末は、DVD 鑑賞。アル・パチーノがシャイロックを熱演した The Merchant of Venice。価格の安さで英国から取り寄せたものであるため、日本語字幕がないのが難点か。いやいや、折角の名優たちの競演。英語を楽しもう、と思ったが、セリフが古い英語のまま。
You look not well, Antonio. とか、Fare thee well awhile. とか。
いままでもジェーン・オースティンもののようなコスチューム・プレイを見て、please の代わりに pray を用いて pray, tell me. と言ったりする英語は耳にしてきたけれど、シェークスピアの英語はさらに200年ほど古い。ヒアリングとは、耳に覚えのある音を拾って意味のあるものと理解する作業であることが、よく分かった。thee とか thou とか ‘tis といった古語や、現代の英語と異なる語順の構文は、文字として読むときは意味が取れても、話し言葉として聞く習慣が無ければ意味がなかなか頭に入ってこない。慌てて、英語の字幕を表示させながらの鑑賞に切り替え。これを思うと、日本語の時代劇での「かたじけない」とか、「せっしゃ」とか言うセリフも、外国人には聞き取りづらいものなのだなと思ったりする。そもそも発音やイントネーションだって、何百年も前に録音機があったわけではないのだから、その発音で良いのかどうかも疑問だけれど。紫式部の話す言葉は、今の日本人が聞いても皆目意味が分からなかったりして。
200年後の日本人は、どんな言葉を話しているのだろう。