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邂逅

the apple of my eye

通訳・翻訳者リレーブログ

普段はかなり引きこもり系の生活をしている私だが、ここ2週間ほどは、人と会うことが多かった。
1つは、会社員時代に留学生として派遣された米国で机を並べた、もとい、共にゴルフに興じた、企業留学生仲間たちとの同窓会。帰国後、私たちはロンドンに、香港に、シンガポールに、台湾にと派遣され、国内組もしょっちゅうあちこちへの出張があり、なかなか全員が一堂に会することはない。今回も数名が欠けはしたが、すれ違いが続いて会うのは15年ぶりという組み合わせあり、留学時期が若干ずれたために初顔合わせという組み合わせもあり、有意義な一席だった。当時は20代後半から30代が中心だったメンバーも、今では皆さん体型は丸く、頭は白く/薄くなり、貫禄充分な管理職ばかりの集まりになった。
最初の行き先はワシントンDC近く、次にテキサス州、その後はミシシッピ州と、英語を勉強しに行ったはずなのにどんどん訛りのきつい地方へ送られるという変わったコースだったこと、ホームステイ先にモルモン教家庭が多くてスモーカーが多い日本人会社員には試練だったこと、交通手段としてあてがわれた米国製自動車の燃費の悪かったことなど、思い出話は尽きない。
メンバーの中で私は最年少、しかも数少ない女性だったので、生意気でどうしようもなかったけれど皆さんが我慢して付き合ってくださって、今さらながらに「お前は本当にひどかったなぁ」と大笑いされた。もしも同じ会社内だったら、こんな風にタメ口を利けないくらいエライ面々なんだろうなと思いつつ、実に有り難い「仲間」に感謝である。

もう1つは、息子を通して知り合った近所のお父さんから、幼なじみの結婚式で長年の友人であるハワイ在住米国人が来日するので英語でのメールのやり取りを手伝って欲しいと頼まれた縁で、いよいよ来日したそのスコットという米国人との食事に招かれた。私以外はほとんど誰も英語を話さないので、ふぐ料理につられた通訳、というところだが。私の英語に妙なアクセントが入り混じっているため、どこで英語を勉強したとスコットが聞く。ミシシッピ州とロンドンだと答えたら、自分はミシシッピ出身だと言う。私がいたのは Hattiesburg という小さな町だと言うと、俺は隣の Biloxi だと。あまりにローカルな地名が出て、お互い大喜びした。いやぁ、Hattiesburg の地名を出して知っていると答えた Hattiesburg 住民以外の米国人に初めて会った。だが向こうもきっと、Biloxi なんて地名を知ってると答えた日本人に初めて会ったのでは。昨年のハリケーン・カトリーナでは、親類宅が被害に遭ったがみんな命は無事でよかったとのこと。あれがもう1年も前のこととは。かなり意気投合したので、ハワイに行く機会があったらスコットが面倒を見てくれるそうだ。ほんとかなー。

それからブログのお仲間かのさんも書かれていた、テンナインの5周年記念パーティ。引きこもり系の翻訳者としては、同業者にお会いする機会もそうはなく、ひょんな縁でお知り合いになれた翻訳者さんや、ブログのお仲間との再会、そして実は初めて直にお会いする方が多かった、テンナインのスタッフの皆さんにお会いできて、とても楽しい、有意義な時間を過ごさせていただいた。ただ、会場でお見かけする顔が、ハイキャリアの『AKKOのプロに聞く』でお写真を拝見しただけの方なのか、どこかでお知り合いになれた方なのか、時々判らなくなったりも……。めったに出向かない表参道なんて華やかな場所に出てくるだけで、ドキドキするし。記念のマグカップ、息子のシッターを引き受けてくれた近所のママ友だちに1つプレゼントしたら喜ばれた。

そして最後は、会社員時代の先輩に誘われて時々行く、銀座のライオン音楽ビヤプラザ。ここは、藤原歌劇団などクラシックの実力派歌手やバイオリニストが毎日交替で出演する、知る人ぞ知る場所。ビールをいただきながらでは申し訳ないほど上質の音楽を生で聴くことができる。先輩が出演者のお1人に師事しているため、ステージが跳ねた後も、その先生や他の出演者の方たちとのお話に花が咲く。純粋に音楽だけを志して生きていくってどんな感じなのだろうと思ってみたり、非常に専門的な音楽談義を拝聴したり、自分とは違う世界の人と触れ合うというのは楽しいものだ。クラシック歌手の皆さんは、どんな猛暑の中でも喉のために自宅で冷房を使わないそうだ。少なくとも、夜、寝る時には絶対に。そのプロ魂、敬服するばかりである。

翻訳という仕事、普段は原文と辞書と資料とパソコン画面だけがお友だちである。
しかし、人生にも職業上もそれだけではやはりダメ。ここ数年は意識的に外出したり、様々な人と交流することを心掛けている。

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記事を書いた人

the apple of my eye

日本・米国にて商社勤務後、英国滞在中に翻訳者としての活動を開始。現在は、在宅翻訳者として多忙な日々を送る傍ら、出版翻訳コンテスト選定業務も手がけている。子育てにも奮闘中!

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