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鳩目と座金

the apple of my eye

通訳・翻訳者リレーブログ

アーシュラ・K. ル=グウィンのエッセイ集『ファンタジーと言葉』(岩波書店 2006年 青木由紀子訳) を読んでいたら、こんな行があって、ひっかかった。
  ……つまり、鳩目を食べた時にフレッド叔父さんがどんな顔をしていたか、それを飲み下してから叔父さんが何と言ったか……

恥ずかしいことに、この「鳩目」って何なのか知らなかった。頭に浮かんだのは「鳩に豆鉄砲」というフレーズで、叔父さんが食べたというのだから、豆の一種だろうか、なんて思ってしまった。
そして数ページ先に、
  ……別にフレッド (1980年に鳩目の食べすぎで死亡) には何の害もないし……

とあるので、やっぱり鳩目って何かの食べ物だけど、食べ過ぎると体には良くない種類のものだろう、と思った。
ところが、さらに数ページ先に、
  ……そこでフレッドがいとこのジムとされて、鳩目の代わりに座金を食べるということになったとしても……

とあるので、今度は「おかしいぞ」と思った。恥ずかしながら「座金」も何だか知らなかったけれど、「金」なんて文字が食べ物の名前にあるかなぁ、と。
そこでようやく調べてみると、鳩目は衣類や靴に紐を通すためにあけた穴の周りにつける小さな金具のことで、「鳩目鑿」というもののことだそうだ。「ハトメ」と書くことも多い。「座金」はワッシャーのこと。
ええっ? フレッド叔父さんは、そんな金具の食べすぎで死んだの?

ちなみにル=グウィンのこの部分のエッセーの主旨は、フィクションとノンフィクションの違いについて、ノンフィクションと謳うからにはわずかでも「創作」が混入してはならないのではないか、という話だった。フレッドがジムに、鳩目が座金になるのは「創作」だ。

翻訳者の端くれとしてここで考えたのは、もしも私がこのエッセーを訳した場合、「鳩目」と「座金」をそのまま訳語として使用することに躊躇しなかっただろうか、ということだ。まず、こんな日本語も知らない私が無知なのだが、私のこの無知度は異常な無知なのか、割とありそうな無知なのか。異常な無知ならそれまでだが、仮に割とありそうな無知だったとしても、曲がりなりにもル=グウィンの素晴らしいエッセーを読もうとする者が、その程度の無知ではいけないのだろうか。仮に、訳者が無知な読者のためにとても親切に「鳩目」の別の訳語を探すとか、説明をつけるとかしようとした場合、どんな表現になるのだろうか。座金は「ワッシャー」でいいとしても、「鳩目」に言い換える言葉はないなぁ。いちいち脚注をつけるほどの難解な言葉でも重要な表現でもないし、かといってカッコで但し書きをつけては文体や文のリズムに影響を与えてしまう。ル=グウィン自身、同じ本に収録されている別のエッセーで、文のリズムは非常に重要だと言っているではないか。では、もしも鳩目や座金が「叔父さんが食べる」という文脈で登場しなければ、このままでいいだろうか……。そもそも、この程度の、文章の全体的な意味には影響がないような「ピンとこない言葉」ぐらいでは、一般の読者はいちいち引っかからず、さらっと流してしまうのではないか。例えば、『赤毛のアン』の村岡花子訳を読んだ子どもの頃、「グリーン・ゲイブルズ」も「緑の切妻屋根」も知らない言葉だったけど気にはしなかったように……。こんな言葉に引っかかってしまう者だけが、辞書なりインターネットなりで、その言葉を調べれば、問題は解決されるのではないか。

外国作家の日本語訳を読むと、往々にしてこういう事が気になってしまうようになった。良いことなのか悪いことなのか、良し悪しの問題ではないのか、その辺も定かではない。

この『ファンタジーと言葉』、素晴らしいエッセー集である。『ゲド戦記』がお好きな方、読んだことがある方、読んだことはないけれどジブリの映画を観た方、観ようと思っている方、『ゲド戦記』に全く興味がない方、すべてにお勧めしたい。

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記事を書いた人

the apple of my eye

日本・米国にて商社勤務後、英国滞在中に翻訳者としての活動を開始。現在は、在宅翻訳者として多忙な日々を送る傍ら、出版翻訳コンテスト選定業務も手がけている。子育てにも奮闘中!

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