調べ魔
翻訳者は、調べ魔である。
いや、調べ魔にならざるを得ず、なれない人は翻訳者になってはいけないとまで言いきれるだろう。
たとえば、訳している文章に dressing gown というコトバが登場したとする。そんなに難しくないコトバだ。辞書にも載っている。「ドレッシング・ガウン」とか「部屋着」「化粧着」なんて訳語になっている。
でも、翻訳者はこういうところにでも引っかかってしまうのだ。
だって、日本人は「部屋着」とか「化粧着」なんて着ないのだから。いったいどんなモノを dressing gown と呼んでいるのか確認しなければ、たとえ訳語は上記の3つのいずれかしか選択肢がなくとも、キモチワルイのである。
最近はインターネットという便利なものがあるから、dressing gown と入力して検索してみる。すると、通販のページで dressing gown を販売しているところがいくつか出てくる。写真付きのものを選ぶ。そうすると、ハリウッド映画なんかでちょっとお金持ちの家の主人や奥様がベッドルームで着ている、あれはシルクなのだろうかサテンなのだろうか光沢のある生地で、ひざ下ほどの丈のガウンが出てくる。素肌に着たりパジャマの上から着たりするようだ。風呂上りにベッドに入るまでと、朝起きて顔を洗ってきちんと着替えるまでに羽織るものを dressing gown と言っているのだ。日本でも「ガウン」として存在するが、入院患者が着ているイメージが強いので、あまりカッコよくはない。ちなみに、ただ gown というと、dressing gown 以外に、英国の弁護士や裁判官、あるいは聖職者が着る長い服、あれも指すので注意が必要。
とまあ、こんな具合に、ちょっとしたことでも気になると、訳文に反映される・されないに関係なく調べに行ってしまうのが、サガなのだ。
で、こういう傾向が日常生活にも影響を与えている。
この夏、息子に初めて「夏休みの自由研究」なるものが出た。1年生の去年は任意だったので、怠け者の親子は提出せずに済ませてしまった。今年からはそうはいかない。で、息子が選んだテーマは「カメの研究」。4月から飼い始めたミドリガメを題材にするという。といったって、何をどう調べてどうプレゼンするのかは全く考えていない様子。そこで登場する、調べ魔の母。息子を連れて近所の図書館に行き、探す探す、「ミドリガメ」とか「カメ」とタイトルについた本の数々。その図書館にない本まで、区内の他の図書館からどんどん取り寄せて、制限の10冊ギリギリまで借りて来てしまう。リビングの床に息子と座り込み、あっちの本を広げ、こっちの本を覗き込み、「ほら、ミドリガメって本当はミシシッピーアカミミガメっていうんだってよ!」とか、「ほら、うちのカメキチは生の魚とかエビしか食べないけど、お野菜も食べるんだってよ!」とか言って、息子に自由帳に書き取らせる。いったい誰の自由研究なんだか。そのうち息子もノッてきて、「ママ、すっぽんのせいそくちはネェ……」なんてやっている。なかなか終わらないぞ、自由研究!
先週も書いたが家族旅行で沖縄に行った。今回は特に離島に行って色々と感じたことがあり、俄然、沖縄が気になってきた。今まで何度も沖縄には行ったのに。すると今度は沖縄関連本をあさるのである。旅行ガイドなんかじゃなく、陳舜臣や岡本太郎が書いた沖縄本だ。今まで知らなかった興味深い事実が沢山あることを知る。石垣島に唐人墓という碑があって、それは1850年頃に中国人労働者を奴隷同然にアメリカに送っていた船の1つで暴動が起き、座礁した船から逃げてきた中国人達を弔った墓だということなど。石垣島の人は得体の知れない汚い身なりの言葉も分からない中国人達を、米・英政府の追っ手から匿ってあげたそうだ。そんな史実を知ったからと言ってどうというわけでもないし、来年は沖縄に行かないかもしれないのに。
以前はスイス高級時計のカタログを翻訳した結果、手巻きの高級時計に魅せられてしまい、専門誌や時計について書かれた本を何冊も買いあさってブランドの歴史や時計の作りにすっかり詳しくなったこともある。百貨店などでフェアがあると覗きに行ってため息をつくだけで、さすがに実物に手は出ないけれど。
まあしかし、調べている時が楽しいのだ。ああそうなのか、へぇ〜!と、ワクワクするのだ。それがたとえ、仕事にも実生活にも、な〜んの役にも立たないとしても。
翻訳者、楽しく哀しいのである。