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孤独じゃないの

the apple of my eye

通訳・翻訳者リレーブログ

よく翻訳は孤独な作業といわれるし、私も「在宅翻訳者なのでひきこもりで」などと口癖のように言う。といっても、そんなことを言う相手も普段はそんなにないのだが。
しかし、果たしてそうなのだろうかと、最近になってあらためて思うようになった。
翻訳で取り扱うのは言葉である。
言葉の役割は、誰かから別の誰かに何かを伝えることである。
ここに、1通の英語で書かれた契約書がある。契約の一方の当事者側で作成したドラフトだ。
まず、ドラフトを作成した人がいる。
私は翻訳者としてこれを日本語に翻訳する。
その向こうに、私が翻訳して日本語になった契約書を読む人がいる。
私はドラフトを作成した人が伝えようとした内容を、間違いなく、この読む人に伝えなければならない。
手がかりは、基本的にこの契約書に書かれている言葉だけである。
私は、そこに書かれていることを一生懸命読む。
言葉は、モーリス信号のような暗号の羅列ではないので、同じことを伝えたい場合も10人10色、様々な単語や表現や文章構成で綴られる。読みようによっては色んな意味に取られることもある。
人間の書くものなので間違いもある。
単純な間違いでは、「第3条1項で定義したとおり」としなければならないのに、As defined in Article 2.1 となっていたり、動詞の目的語が書かれていないために、誰が誰に対して何の義務を負うのか分からなかったり、文章の構成が悪いために、買手が作成するのは仕様書だけなのか、製品リストも作成するのか不明瞭だったり、まあ色んなエラーがある。
私はそんな原文のエラーを、「2.1と書かれていますが3.1ではないでしょうか」とか、「目的語がないので明確ではないですが、○○を目的語として解釈します」とか、「二通りの解釈がありますが、文脈上前者の方ではないかと思います」などと訳注を入れながら訳していく。
ここで勝手に翻訳者の解釈だけで訳文を作ったら、もしかしてドラフト作成者の意図とは違ってしまうかもしれない。出来上がった訳文を提出するときに、原文に瑕疵があった可能性を示しておかなければ、読む側は私の作った訳文が正真正銘、ドラフト作成者の意図を間違いなくすべて表したものだと解釈してしまうだろう。契約書の場合、それが間違って発展して、会社と会社の紛争になったり、契約が成立しなかったりという事態になるかも(大げさかもしれないが)。
場合によっては(契約書の場合はたいてい無理だけれど)、翻訳を依頼してくださった会社の担当者さんにお願いして、原文を確認してもらうこともある。あるいは、翻訳会社側のチェッカーさんと確認しあうこともある。
すると、場合によっては……おお!

原文作成者−翻訳者(私!)−チェッカーさん−コーディネーターさん−担当者さん(営業さん)−訳文の読み手

という、なんとも美しい連携が存在することになるのである。
なんのなんの、翻訳は孤独な作業などではない。
書き手の意図どおりの言葉の意味を間違いなく読み手に届けるという、崇高な目的のために連携し合うチームワークなのだ。
今日も私は見えない書き手の心を読み取り、見えない読み手の心に届けるため、ひとり、PCの前に座っている。

Written by

記事を書いた人

the apple of my eye

日本・米国にて商社勤務後、英国滞在中に翻訳者としての活動を開始。現在は、在宅翻訳者として多忙な日々を送る傍ら、出版翻訳コンテスト選定業務も手がけている。子育てにも奮闘中!

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