反省、反省
時々、チェッカーを頼まれることがある。
これはとてもトリッキーな仕事である。
明らかな誤訳、訳語選択のミス、入力ミス、訳抜けというレベルの訂正までは、いい。
だが、何しろ人にはその人それぞれの文体というものがある。同じ原文を訳していても、10人いれば仕上がる訳文は10種類になるだろう。
私が、「この文章の流れはどうもわかり辛い」と思って訂正したくても、訳した人はその訳文が「完成品」だと思って納品しているわけだから、そう安易には訂正できない。誤訳じゃないし、ただ、私だったらそう訳さないだろうなぁ、のレベルの話だが。
読んでいてつっかかったところを何度も何度も読み直し、どうしてもダメと思うところだけを訂正するのだが、「ん〜どーもしっくりこないなー」という感じが残ったまま、先に進まなければならない場合があるのが、なんともストレスが溜まる。こんなことなら自分で全部訳した方が余程楽だ、と思うこともしばしば。
トリッキーな要素その2は、言いにくい話だが、翻訳者さんの力量の違いでチェック作業の時間のかかり方が違うので、作業時間を見積もりにくいということである。質の良い翻訳の場合、通常の翻訳にかかる時間の3分の1くらいで、チェック作業が終わる。ところがそうではない場合、またしても「自分で全部訳した方が余程楽」、になってしまう。そこに例えば、専門用語をきちんと訳せていないなど、その種の翻訳では絶対に犯してはならない間違いが多発していると、「ぁぁぁぁ……」な気分になってさらに作業スピードが落ちてしまったりする。
とまあ、偉そうなことを書いたが、自分が駆け出しの頃はチェッカーさんにこういう思いをたくさんさせていたのだろうという、反省の機会にはなる。さらに、私たちの訳文を実際にご使用になるエンドユーザーさん、お客様も、納品された訳文を読んで「どーもしっくりこないなー」と感じられていることもあるのだろう。そう思うと冷や汗がドット出て、これまたストレスの要因である。
いやいや、そんな風に後ろ向きになってはならない。
他人の訳した物を読むというのはなかなか機会がなく、色んな面で大変勉強になるのだ、というお話でした。