BLOG&NEWS

言葉の修行

the apple of my eye

通訳・翻訳者リレーブログ

常日頃、自分の反省材料として感じているのは、「言葉を控えめに」である。
「控えめに」のひとつの意味は、「分量を少なく」ということ。
多分、私のプライベートメールを受け取る人は、その長さ・くどさに辟易していると思う。とあるSNS上でもそうだ。このブログでもそう。
「ん!」と思うと、思いついたことをダーッと書いてしまう。
喋っている時もそう。早口でダーッと喋る。たくさんの言葉を使ってしまう。
1つのことを言うのに、1つの言い方だけでは相手に分かってもらえないかもという不安から、2つも3つも言い方を変えて言葉をつなげてしまう。
これは自分の思いを伝えるのには余り効果的な方法じゃないことも重々分かっていながら、言わずに/書かずにいられないのだ。親しい友人には「頭の中に言葉がギューっと詰まっていそう。どうしたらそんなにたくさん言葉が出せるのか、言いたいことの半分も言えない私には羨ましい」などと言われるが、そういう彼女のほうが、短い言葉で鋭く言い当てることも多い。
「控えめに」のもうひとつの意味は、「もっと優しく」。
そんなつもりはないのに、どうも良い意味・悪い意味の両方で「ガツンと言う」とか「ズバっと言う」とよく言われる。あやふやにしておくのが嫌いな性格というか、白は白、黒は黒だと表明したいのだ。何かで誰かと論争になると、つい相手を言い負かすまでやり込めてしまうこともある。強い言葉で相手を罵倒するわけではないが、相手の論点にいちいち反論し、追い詰めてしまうのだ。年齢と共に多少はマシになったかもしれないし、相手もごく親しい人だけに限定されてきたが、餌食になった人はたまったもんじゃない。分かってるんだけど、変な理屈をこねられると「言い返したい!」とお尻がむずむずしてくる。ポンポン!と言い返しては、後で反省したりする。
この傾向は子育てにはマイナスだ。
子どもの思考は一貫性がなく語彙も少ないため、何を言いたいのか色々言わせてみないとわからないことが多い。それを「あ、そうか、こういうことが言いたいのね」と先にまとめてしまったり、「え?さっきは○○○って言ったじゃない」と論点の矛盾を突いてしまっては、子どもは喋れなくなる。時系列も主語も統一されない子どもの話をジーっと聞いて、どうでもいい部分は聞き流しながら、大事な部分はときどき短い質問を挟んで整理してやりながら、時間をかけて耳を傾けなければならない。これはどんどん話を先に進めたいせっかちな私には大変良い修行である。
子どもに何かを説明するのも難しい。この頃また「〜ってなに?」の質問が増えてきた。
「俳優って何?」「衆議院って何?」「軽蔑って何?」
なるべく丁寧に答えてやろうと思うが、あまりグダグダと長く説明しても子どもは飽きてしまって途中から聞いていない。難しい言葉を使うのもダメ。やさしい表現でなおかつ簡潔にとなると、これまた修行である。
日々修行。
親として。
言葉で仕事をする者として。
人間として。

Written by

記事を書いた人

the apple of my eye

日本・米国にて商社勤務後、英国滞在中に翻訳者としての活動を開始。現在は、在宅翻訳者として多忙な日々を送る傍ら、出版翻訳コンテスト選定業務も手がけている。子育てにも奮闘中!

END