バウワウチック
仕事は翻訳ですと言うと、「すご〜い、英語ぺらぺらなんですね〜」という反応をいただくことがある。帰国子女や外国語を使って仕事をしている人が多いと思われる東京ですらこうだから、田舎に行くと尚のこと。
いや、ぺらぺらっていうその表現自体がどうかと思うのだが、ぺらぺらって何だ。どの程度喋れることをぺらぺらって言うんだ。いや、私は少なくともネイティブでもバイリンガルでもないからぺらぺらじゃない。かと言ってよくあるパターンの1つ「いえ、日常会話程度です」という返事も好きじゃない。日常会話って難しいぞ。話題がどこに飛ぶか分からないのだから、ある程度ボキャブラリの領域が決まっている翻訳より難しいかもしれない。
そんな天邪鬼的思考がぐるぐるして返事ができなくなっている間に、相手は「帰国子女とかですか?留学してたんですか?」とくる。
その『とか』ってのはやめなさい、などと思いつつ、質問の本題についてやっと答えられてほっとする。帰国子女じゃありません。留学は少ししていました。
さらに私の仕事や英語を日常的に使っているという事実に興味を抱いてくださる相手だと、どれくらい留学すれば「喋れる」ようになるのかとか、大学は「英文科」だったのかとか、どうやって「翻訳家」になったのかとか、あれこれ聞いてくださる。「喋れる」「英文科」「翻訳家」の3つには、必ずしも相関関係はないのだということや、「帰国子女」や「留学」が必要条件ではないということや、そもそも私は「翻訳家」ではなく単に翻訳を仕事にしている人間なのだと説明したいのだが、そんな説をぶったところでどうなるものでもなし、ジレンマは続く。
いっそ、こう言ってみたらどうだろう。
いえ、私の原点は『バウワウチック』です、と。
ご存知の方も多いだろう。リチャード・スカーリーの英語の絵本の中に出てくる、自分を犬だと信じて疑わないヒヨコだ。
子どもの頃、カリフォルニアのパロアルトに住む母の友人がくれたのだったと思うが、リチャード・スカーリーの絵本が何冊か家にあって、よく眺めていたのだ。ブタさんだのウシさんだののキャラクターが農場を経営していたり、商店街でお店をやっていたりする中で、出色のキャラクターがバウワウチックだ。いや、そういう名前がついていたかどうかは定かではないが、我が家ではバウワウチックと呼び、彼が出てくるページを探しては、突拍子もない場面で頑なに「bow wow!」と鳴いてはご満悦の、キュートな彼の姿に笑い転げていた。ただそれだけなのだが、今のように外国語放送や語学関連の情報があふれているわけではなかった昭和の時代、リチャード・スカーリーが家にあったこと、それが今の私の仕事につながっているというのは、あながち的外れじゃないと思う。