コミュニケーションの力
ご存知の通り、通訳者にとってコミュニケーション能力は、最も重要な能力の一つです。通訳トレーニングを受けていた時から、その大切さを教えられ、実際に通訳をする場でも実感してきました。しかし今年のボストンマラソンにEMT(Emergency Medical Technician: 救急救命士)として参加し、コミュニケーションの持つ力、特に「聞く」ことの大きさを再認識しました。
ボストンマラソンには市民ランナーを合わせて、数万人が参加します。その中には脱水症状になったり、転倒して怪我をしたりしてしまうランナーもいるため、42.195キロのコースに25を越える医療テントが設けられます。当日は天気もよく、気温も4月のボストンの平均を上回り、調子を崩すランナーが見られました。その中で、特に印象に残ったランナーがいました。
ゴールまで残り約1キロの地点に設けられた、最後の医療テントにいた時のことです。ある女性ランナーが、青白い顔をしながらテントに入ってきました。一緒にマラソンを走っていたボーイフレンドの男性ランナーが、突然彼女の調子が悪くなったと説明してくれました。通常の処置、手当てを行い、テントの中に用意したストレッチャーに彼女を寝かせ、ボーイフレンドのために、彼女の横に椅子を用意しました。彼女は疲労が溜まった状態でしたが、休息さえ取れば問題はない状態でした。しかし最終的にレースから棄権するのを決めるまでの約1時間、彼は彼女の手を握りながら、よき聞き手として彼女の声に耳を傾け、優しく声を掛けていました。その姿は通訳者が見習うべき “Listen with your whole being.”の鏡のようでした。40キロ以上をすでに走破し、あと5分もあれば、彼は初マラソンで初完走を果たすことができるのですが、聞き手としてその場にいることの大切さを感じていたのでしょう。
もちろん通訳者の仕事は聞くだけではなく、それを伝えなければなりません。しかし相手の全てを受け止めながら聞くことなしに、通訳は成り立たないとも感じます。今回の経験は、言葉だけを聞くのではなく、相手の気持ちも受け止めながら聞くことの大切さを実感させるものでした。