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アメリカの倫理観とは?

Hubbub from the Hub

通訳・翻訳者リレーブログ

ボストンにはJFKライブラリーという大統領図書館がありますが、そこで先々週と先週の2週間にわたって、アメリカの倫理観をテーマにした講演会シリーズが開催されました。月曜日から金曜日までの週5日間、朝8:30から12:30までの4時間にわたって、それぞれ2時間の持ち時間を担当する2名の講演者が、自分たちの専門分野における倫理に関するテーマについてレクチャーを行いました。招待された講演者は哲学者、経済学者、歴史家などの学術界からの人々や、医療や環境に関する研究センターのスペシャリスト、約15年前の大統領候補者など、非常に多岐に渡るものでした。講演会の出席者も現地の高校教師、大学院生、一般の聴衆など、やはり様々でした。

講演会が始まる前は、SUVを乗り回し、大企業が海外の児童労働などを搾取して安い商品を作り、世界各地に軍の部隊を展開するアメリカのイメージと、「倫理」という内容が矛盾するようにも感じましたが、2週間に渡る講演会は非常に中味の濃いものとなりました。ディスカッションのテーマとして挙げられた内容を、ここではいくつか紹介したいと思います。

2週間のレクチャーシリーズは、カントの哲学を簡単に説明する哲学者の講演で幕を開けました。「倫理的に正しい行いとは、他人をある目的のための手段として使わないことである」という考えに、多くの聴衆が「なるほど」と気づかされたようでした。また、ある行いが倫理的に正しいかを確認する手段とは、「もしも世界中の全ての人がその行いをした時、世界はよい方向へ進むか」を問うことであるとも説明されました。万引きが倫理的でない理由は、あらゆる人が万引きをした場合に世界がどうなるかを想像すればわかります。

ある経済学者は、倫理的な決断を下すには、正しい情報(事実)を得ることが最も重要であると述べました。例えば、地球温暖化が倫理的に正しくないということに異論を唱える人はいないでしょう。しかし京都議定書など、実際にどのように問題を解決するか考える際に様々な異論が発生するのは、その解決策が実際に問題の解決に役立つかどうかの事実に関する理解が異なるためです。ですから「地球温暖化は阻止すべきであるが、京都議定書は無効である」という理論が存在します。

この考え方を元に、ある歴史家は「反倫理的な意見を唱える人も、多くの場合はその人にとっては倫理的な考えを述べているに過ぎない」と述べました。つまり「地球温暖化を阻止する手段に反対するとは、なんと非倫理的な人だ」と思うのではなく、「相手はなぜその考えが倫理的であると思っているのだろうか?」と問うことが必要です。

ある医療関係者は、透析機械が発明された直後にあった逸話を紹介しました。透析機械が1台しかない状況で、透析治療によって助かる可能性が同等にある10名の患者がいた場合、どのように対処するか、という難問です。つまり残りの9人は命を失うことになります。この講演者は、実際に組織された医療委員会において、9人の命を犠牲にしなければいけないディスカッションに参加したそうです。患者の性別はその命の決断に関係するでしょうか? 多くの聴衆は関係しないと言いました。年齢も、それほど関係しないようです。しかし過去の犯罪歴となると、犯罪歴のない患者を優先すべきである、という意見も出ました。社会貢献度、経済的地位など、色々な条件を考えてみると、人の価値を様々な外的な要因で決め付けてしまう、自分たちの悲しい姿が浮かび上がってきました。

生後数ヶ月の患者、10歳の小学生、更正施設にいる18歳の高校生、25歳の起業家、一流企業で活躍する40歳のサラリーマン、孫が生まれたばかりの55歳のおじいさん、60歳の大学教授。例えば、皆さんが命の決断をせねばならぬ場合、以下のような状況でどのように命の取捨選択をするでしょうか? そしてその判断は何を元に行うでしょうか?

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Hubbub from the Hub

幼い頃から英語に触れ、大学在学中よりフリーランス会議通訳者として活躍、現在は米国大学院に籍を置き、研究生活と通訳の二束のわらじをはいている。

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