心に残る通訳の思い出
先週の投稿は珍しく通訳に関するものでしたが、今週もその流れに乗って、通訳話で…… 今回はこれまでの限られた経験の中で、一番記憶に残っているお仕事の話をしたいと思います(もちろん先週の内容であった、初めての通訳が一番記憶には残っていますが)。
それは世界的なスポーツ大会で行った放送通訳のエピソードです。あるTV局のスタジオにて、選手や監督の試合後のインタビューを同通し、そのまま生放送で流す、というお仕事でした。数十の国を代表するチームが参加する大会のために、様々な言語の通訳者が手配されていました。しかしある日のこと、手配したはずの北欧言語の通訳者が手違いで手配されていないことが判明したのです。英語の私以外にも、スペイン語やポルトガル語などの通訳者はそろっていましたが、その日に試合をしているチームの母国語である通訳者がなぜかスタジオに不在。しかもそれに気づいたのは放送前の打ち合わせ中。ディレクター、エージェントの担当者、そして我々通訳者はその監督が英語で話すことを祈りつつ、もしも母国語で話したらどうするか、色々と思案を重ねました。「仕方ない、その場合は通訳なしで、外国語のまま流そう」という全会一致の決断が下されようとしていたその時、エージェントの担当者が「Hubbub from the Hubさん、このスポーツに詳しいんだから、適当にそれらしい事言えるんじゃない?」と大胆発言。なぜか私以外の全員が「それは妙案」と意見を換え、結局私は「こんにちは」さえも言うことのできない北欧言語の同通(の真似)をすることに。
「英語でインタビューをしてくれ…」と祈りながらスタジオに入り、数分後に試合終了の合図。すると敗戦してしまった監督は私の願いもむなしく、私にはさっぱりわからない言語で話し始めました。チラッと周囲を見回すと、多言語の通訳者が「頑張れ」とばかりに私にスマイル。スタジオのドアの外にはエージェントの方が「よろしく」と言わんばかりに私を見つめています。そして目の前の放送中の画面には「同時通訳:Hubbub from the Hub」と私の名前が… 試合に負けた監督が言うコメント、そしてインタビューで質問される内容、というのは大抵決まっています。あとは知った選手の名前が出てきたり、監督の声の調子から想像しながら、創造的な同時通訳を行いました。「今日の結果は非常に残念です」「後半のあの時間に左サイドを崩されて失点したのが後に響きました…」などなど、あたかも自分がその監督になった気分で、できる限り訳しました(これを「訳す」と呼ぶのだろうか?)。
なんとか無事にオンエアが終了し、担当者やTV局の方から感謝されつつも、「もしも『通訳が全然違っていた』と苦情が来たらどうしよう」と心配しながら帰宅の途に着きました。もちろん家に帰ると、知り合いから多数のメールが… 皆私が北欧言語を喋らないのを知っていますから、「今日の通訳、聞いたよ。あれ、オリジナルを無視していたでしょう」と鋭い指摘がされていました。
あの時ばかりは通訳者としてではなく、無事にオンエアを終了させる義務のあるチームの一員としての判断でした。とりあえず通訳がついた放送が行われ、苦情も無かったということで、一安心。しかしスピーカー(監督)や聴衆(視聴者)への通訳者としての忠誠を考えると、今もその判断が本当に一番だったのか、答えは出ません。