通訳者の限界
これまでいくつかの学会で同通を担当しましたが、自分がプレゼンターとして発表する立場になり、通訳者の限界を感じるようになりました。今回の投稿は、Humanities and Technology Associationという学会が行われているユタ州ソルトレークシティーのホテルで書いています。大半の学会では、複数のセッションが同時進行で行われ、それぞれのセッションの中で3名から4名が発表をし、質疑応答が行われます。3日間なり4日間の期間で自分が発表するのは基本的に1セッションですから、大半の時間は自分の興味がある分野に関するセッションに参加し、発表者の意見を聞きながら、質疑応答を行うことになります。国際的な学会へ行くと、当たり前のように同時通訳があります。残念ながら北米の学会で日本語の同通に出会ったことはありませんが、カナダの学会ですと、必ずと言って良いほど英仏の同通があります。
しかし学会で最も興味深いディスカッションは、大抵セッションとセッションの間の休憩時間や、食事の時間に起こります。「自分が参加したセッションではこんな意見が出たけど、あなたが出席したセッションではどうだった?」という話から、限られたセッションの時間内で話し合うことができなかったミクロの話まで、本当に活発な意見交換が行われます。皆、それぞれの分野に情熱を持っていますから、食事時間といっても喋ってばかりです。しかし、そのような場に通訳はありません。もちろん自分で専門の通訳者を探せば別ですが… 国連の最も重要な決定の根回しは、トイレで壁に向かいながら行われる(こんな話ですみません…)、と聞いたこともあります。本当に大切なディスカッションは、非公式の場で行われるということです。
春と秋は学会シーズンですが、ここ数週間でいくつかの学会に発表者として出席し、非公式の場で行われる話し合いの重要性を痛感しました。今回発表した論文に近い内容を10月下旬にカリフォルニアで発表しますが、その改善案として様々な意見を交換したのは、夕食の席でした。「この本は、あなたの研究に役に立つかもしれないから、読んでみたら?」という知識の交換もコーヒーブレイクで行われます。
もちろん通訳者としては、セッションの中で最大限の仕事をするしかできませんし、もしも全ての人が語学に堪能になれば通訳の仕事はなくなってしまいます。しかし、少しでも自分の意見が表現できる語学力は強力な武器になると、強く感じました。
今回の会議で知り合った学者が、冗談半分に"We digest knowledge with people with whom we digest our meals."と言っていました。結構核心を突いた発言かもしれません。