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骨髄移植

Hubbub from the Hub

通訳・翻訳者リレーブログ

約1年前の11月9日、骨髄移植のドナーとして日本に戻りました。昨年の春に白血病の診断が父に下され、夏に行った血液検査で、私のHLAが父のそれと一致したためです。通常のABO式の血液型は赤血球のタイプを調べるものですが、白血病ではHLAと呼ばれる、白血球のタイプが一致する血液が必要となります。HLAには6つの要素があり、子供は3つを父親から、残りの3つを母親から受け継ぎます。従って親子間であっても、HLAが一致する可能性は非常に低く、私と父の間で6つのHLAのうち5つが一致し、移植が可能であると判明した時には、家族そろって大喜びしました。

その後、様々な検査や自己輸血のためにアメリカと日本を何度か往復し、約1年前に移植となりました。移植を受ける側(父)は、それまでに大量の放射線治療を受けて、体内の白血球数をできる限りゼロに近づけます。それによって様々な菌への抵抗力を失いますから、無菌室の中で時間を過ごします。実際の移植は点滴と同じように、ベッドサイドにつるされたプラスチック容器の中にある骨髄が、血管内に入れられます。

逆に骨髄を提供する側(私)は、全身麻酔を受けます。腰に6つの大きな穴を開けられ、合計で100回以上、注射針を刺されます。腰の骨の中から骨髄を少しずつ抜き取る作業です。

移植の前日は2つ隣の父の病室へ、面会に来た母と遊びに行ったりしましたが、移植当日は朝9時ごろから手術が行われました。午後には父のベッドサイドに骨髄が届けられ、夜には移植が終了しました。麻酔が覚めてきた私は夜中に腰の痛みで目が覚めました。翌日には歩行が許されましたが、腰の骨に何度も針を刺された痛みは、それまで経験したことの無いものでした。

2日後には学会でアトランタへ向かいました。最終的には移植やその他の治療も決定的な効果を見せず、3月末に父は亡くなってしまいましたが、ベッドサイドで見守る以上のことができた点は、最後の親孝行になったか、と思っています。あっという間の1年間でした。

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Hubbub from the Hub

幼い頃から英語に触れ、大学在学中よりフリーランス会議通訳者として活躍、現在は米国大学院に籍を置き、研究生活と通訳の二束のわらじをはいている。

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