交渉通訳の目的
約1年間ほどお手伝いをしているプロジェクトの通訳で、米国南部まで出張してまいりました。クライアントは日本の会社で、アメリカ企業が中心となっているプロジェクトに参加しているため、基本的に会議がアメリカで行われています。残念ながらプロジェクトのリーダー的存在である会社が「どうにかなるさ」的な思考を持っており、逆に日本側はスケジュール通りに計画が進まないどころか、スケジュールすらない状況にイライラする日々。「和やかな雰囲気」とは言えない環境でのお仕事ですが、初日の業務を終了し夕食をご一緒させていただいている時に、これから通訳者を目指す人にとって参考になるかもしれないメッセージを耳にしました。
クライアント様の会社からは、光栄なことにいつも私を第1希望でエージェントに連絡を頂いています。主要都市に数多くいる日本語通訳者でなく、わざわざ私をボストンから呼んだり、私の予定に合わせて会議を設定しようとする努力をしていただいている理由を、伺ってみました。その答えが、きっとこれから通訳者を目指す人にとっての参考になると思います。
クライアント様がおっしゃるには、私は会議の流れと雰囲気を理解しながら、日本側の意見を適当なタイミングで伝えていると言うのです。今回のプロジェクトでは、20人近くのアメリカ人の中に3名の日本人が参加する、と言うケースが数多く、私が会議をコントロールしなければ、会議は英語でどんどんと進んでいきます。もちろん、1名の発言ごとに会議を止めるわけにはいきませんから、数名の発言を要約して伝えたり、日本側の不利益に関わると判断する場合にはウイスパリングに変えたりという対応をします。その中で、日本側の担当者が何らかの反応をした場合、私は同時進行で英語で進んでいる会議に「ちょっと待った!」と割り込みを行います。そうしないと訳をするタイミングが来たときには、話が進んでしまっているからです。
もちろんこれは特殊な技能でもなければ、多くの通訳者が実際に行っていることです。しかし肝心なのは、どのタイミングで逐次からウイスパリングに換え、どのタイミングで会議に割り込み、どの状況では相手側に話を続けさせて、その後に訳を行うか、といった会議の流れの中の判断であると思います。介入が多すぎれば会議は進みません。休憩無しで数時間進む会議を1人でウイスパリングしていれば、1日の終わりになって、訳落しをする可能性もあります。
私が交渉の席で通訳をする際にいつも目標としているのは、クライアントが「英語が喋れれば、もっと迅速に対応して交渉の結果が違っていたかもしれないのに…」と感じないことです。つまり、語学力は通訳者が対応しても、通訳者を使うことが交渉の席で不利益になってしまってはいけないと思います。もちろん通訳者の第1の任務は言葉を訳すことですが、日本側の意見が適切なタイミングで、全て伝えられなければ、通訳者としての全任務を全うしたとはいえないでしょう。
私は通訳学校に通った経験がありませんが、聞くところによると、多くの教材は政治や経済、世界情勢の中身で、交渉通訳の訓練にはあまり時間が割かれていないと聞きます。しかし通訳者としてデビューして、最初に多くこなすのは交渉通訳です。そこで力を発揮できなければ、同通の力も、政経の知識も、実を結びません。通訳学校の優等生は、的確に何度の高い内容の文章を訳せる人かもしれませんが、同時に会議の流れを読み、交渉術を理解し、クライアントの実務的な不利益を理解して共有する能力も、十分に育てる必要がある、と感じました。