通訳者と自分の意見
日本にいる時からそうでしたが、多くの人に「通訳をしていると、人の意見を訳してばかりいて、『たまには自分の意見を言いたい!』と思ったりしない?」と聞かれることがあります。特にボストンの友達は皆、私が学会で発表したり、レクチャーをしたりする姿しか見たことがありませんから、ステージから身を隠して通訳をしていることを信じない人すらいます。しかしこの様な疑問が出るのは、「通訳=己を無にする」という誤解があるからではないでしょうか?
もしも通訳者の能力が言語力だけで決まるのであれば、単語や表現を多く覚え、専門知識が豊富な通訳者が、最高の通訳者と言うことになります。しかし「この通訳者は上手だ」と思う相手が必ずしもあらゆる単語を知っていたり、テーマの分野を詳しく知っているわけではありません。もちろんとにかく単語の置き換えを求められる法廷通訳の場面や、ソフトウエアのスペックに関する会議は別ですが、その他の多くの場面では、通訳者の感性が訳の質に非常に大きな差を生み出していると思います。スピーカーの考えだけではなく、心まで共有している通訳者の訳は、少し位文法が変でも、苦労しながら訳している様子が伝わってきても、聞いている人の心に届く気がします。そう考えると、必ずしも通訳者が己を無にするとは言えないでしょう。現実として通訳者が存在しているのですから。ですから、例え他人の意見を朝から夕方まで訳していたとしても、それは自分の考えを抑えていることとは違います。
また通訳者といっても、24時間通訳をしているわけではありません。大半の時間は、通訳から離れています。従って、通訳をしているときに色々な人の話を聞くことができ、しかもその考えを一人称で語ることができるのは、非常に大きな財産です。私が通訳の仕事を終えて家に帰ると、その日に学んだ様々な考えが頭に浮かんできます。「人の顔には口が1つで耳が2つあるのには、理由がある」という言葉もありますが、色々な話を聞くことは、自分の考えを深めるのに非常に役に立ちます。
だから通訳は楽しいのです。