オリンピック
トリノ五輪では女子カーリングと女子フィギュアスケートが非常に大きな関心を得ました。私にとってもこの2種目は、個人的で特別な思い入れがあります。
初めて語学ボランティアとして通訳をしたのは、1997年の世界ジュニアカーリング選手権でした。翌年の長野五輪の前座大会として開かれ、一部のオリンピックの大会ボランティアが研修の一環として参加しました。私も軽井沢につめ、大会のお手伝いをしました。語学ボランティアと言っても、仕事の9割は語学に関係のない仕事。定期的に発表される試合の進捗状況をメディアルームへ持って走るのが役目でした。今なら無線LANでも敷いてしまうのでしょうが・・・・・・ 英語を使う時と言えば、"Here is the latest report."と言うくらいのもの。それ以外はコピー機を前に格闘する毎日でした。しかしその大会にはトリノ五輪の女子カーリング代表として出場していた選手が数人参加していました。他のスポーツに比べて知名度の低いカーリングでしたが、その分選手たちには親近感を感じました。その選手たちが五輪で活躍し、メディアで大きく取り上げられていたのは、非常に嬉しく感じました。
フィギュアスケートも同様です。1998年のオリンピック本番ではフィギュアスケートが担当となりました。偶然にも選手と一緒に仕事をする機会が多かったので、トリノで優勝した荒川選手を始め、直前に辞退したアメリカのクワン選手など、色々とコミュニケーションをすることが出来ました。
私にとっては1997年、1998年の2年間は通訳者としてのキャリアの始まりです。これらのボランティア通訳を通して、「プロの通訳を目指そう!」と思いました。それから約8年が経ち、まだまだ半人前でありながらも「通訳のHubbub from the Hubです」と言えるようになりました。つい最近のようにも感じられますが、「色々あったなあ」と思わせられるオリンピックでした。