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不可思議なる受動態

Hubbub from the Hub

通訳・翻訳者リレーブログ

日本の英語教育では、「以下の英文を書き直せ」という問題が沢山あります。"a lot of"を"many"に書き直される小さなものから、"This is a pen. I use this pen every day."を"This is a pen that I use every day."にする文単位のものまで。その中でも典型的なのは、きっと受動態と能動態でしょう。"I took this picture."を"This picture was taken by me."にする、という手のもの。往々にして妙に不自然な文章が出来上がるのが常です。"This t-shirt is worn by me."とか"The TV in the living room was turned on by me."とか。本当は能動態と受動態には、それぞれを使う意味があるのですが、それを無視して単純な書き換え作業を強いているのでしょう。先日、通訳や言葉に興味を持っている友人と話しをしている時に、この能動態と受動態について話が盛り上がりました。それも、日本語の場合についてです。

英語でも受動態を使うことはよくあります。"I was astonished"とか"I was fired."とか。しかし日本語でも、結構よく使うんですね。しかも日本語の受動態は能動態に書き換えると、妙に不自然なのです。例えば「彼女にふられた」。一体何人の人が、「彼女が僕をふった」と言うでしょうか? 「財布を盗まれた」と言っても、「盗人が私の財布を盗んだ」とは言わないでしょう。日本語では物事の因果関係をぼやかしているようにも感じます。「AがBを引き起こした」とは言わずに、「Bが起こった」とだけ言う。すると、なんとなく日本の社会では物事が丸く収まるのです。

例えば通訳の局面を考えてみます。「注文の商品を送っていただきました」とは言っても、「御社が弊社に注文の商品を送りました」とは言いません。必ずしも「能動態」「受動態」と分けられる場面ばかりではないですが、日本語では「電車の中でハイヒールに踏まれた」のような「被動作主」の視点で語られる場合が非常に多いように感じます。

なぜ日本語ではこの様なことが起こるのか。本当に日本語ではこれらの文構造が英語より多いのか。詳細まで友人と話し合ったわけではありませんが、「より日本語らしい日本語」「より英語らしい英語」と心がけて通訳するには、こんな言葉の特徴も知らないより、知っているほうが役立つのかな、と感じました。

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Hubbub from the Hub

幼い頃から英語に触れ、大学在学中よりフリーランス会議通訳者として活躍、現在は米国大学院に籍を置き、研究生活と通訳の二束のわらじをはいている。

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