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漢文

仙人

通訳・翻訳者リレーブログ

通訳でもそうだと思いますが、翻訳していて中国語の固有名詞が出てきて困ることがよくあります。世界的には中国語、おそらく北京語の発音であまねく知られている事柄を私たちは日本語の音で理解しているので、何のことかわからなくなるのです。最初から登場することがわかっている言葉は下調べもできますが、前にちょっとした食事の席でHu Yaobangの話題になって、誰のことかわからず、日本人って、中国の国家主席の名前も知らないの?とオーストラリア人にばかにされたことがあります。
それ以来、国家主席の名前ぐらいは英語でも理解できるようにしていますが、翻訳では最近、東洋的哲学や思想みたいな話が出てくる文章にであうことがあり、その出典がわからなくなると結構大変です。アメリカ人やイギリス人にとって、何となく「儒家」といえば、それでひとくくり、みたいな感じなのでしょうが、日本人、特に古典の時間に漢文があった私の世代にとっては、そういうわけにはいきません。昔の中国の文献に関して結構いいかげんな言及がされていること、たとえば陶淵明とかの有名な詩が、儒教家の言葉として紹介されることがあれば、それを訂正すべきだろうと思うし、正確な言及でも、それについての確立した日本語訳がある場合、それをどこまで「漢文」として紹介すべきなのか、いやいや最近の若者は漢詩なんて知らないから、あくまでも英語直訳でいいんじゃないか、ちょっと待って、読者の平均像としてはどれくらい理解していると考えればいいのか、などなど……。「日本文化になってしまっている『漢文』としての引用」の扱いに悩むことは多いです。
登場人物の名前を全くのフィクションとしてそのままカタカナにしていたら、実在の有名な人だった、ということもあり、調べることが多いので、中国語が出てくる話はできるだけパスしたいところです。
って、小難しいこと言いましたけど、ふとこんなことを思い出したのは、オリンピックを見ていて中国選手の名前を紹介する際、画面の表記と解説者の音が違うので思っただけでした。今は、お仕事は短期でできる訳だけの、オリンピック漬け。ふふん。

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記事を書いた人

仙人

大学在学中に通訳者としての活動を開始。卒業後は、外資系消費財メーカーのマーケティング分野でキャリアアップ。その後、外資系企業のトップまでキャリアを極めた後、現在は、フリーランス翻訳者として活躍中。趣味は、「筋肉を大きくすることと読書」

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