ろーまの、ぱぱさま
ヨハネ・パウロ2世が亡くなられてから一年の今月は、特集なども多く、思い出すこともいろいろありました。私は信者では全くないのですが、カトリック幼稚園に通って(ただ、実家から走って5秒のところに修道院&幼稚園があっただけの理由)卒園記念で、「カトリックかるた」というのをもらい、近所の子供たちとよくこのかるたで遊びました。その「ろ」の札が「ろーまに、ぱぱさま、いらっしゃる」でした。
1981年にJPIIの暗殺未遂事件があったときのこと。ちょうどその少し前にJPIIの祖国ポーランドでは、民主化組織「連帯」が合法化され、日本の企業にもポーランドから視察に来る人が急に増え、当然通訳が必要で、私は事件の日、とある企業のポーランド人たちの研修通訳のお手伝いをしていました。(えっ、そんな頃から通訳してた人が、この世にまだ生きてるのと思われるでしょうが、私も当時はまだ学生のバイトで、お手伝いだったので……)。まだCNNとかもない頃で、ポーランドの人たちは、教皇さまが狙撃されたことを知らないだろうと、親切心でニュースを伝えてしまったら、さあ、大変! 研修なんてとんでもない、全員で教会にお祈りに行くと言い張り、さらに私の担当は4人だったのですが、一行十数人にもすぐ伝わり、私の責任ということで彼らを引率して、大きなカトリック教会のミサに行ったこともありました。
それで、です。ニュースを聞いて私もショックで、ポーランドの人たちに知らせる際、なぜか、ろーまのぱぱさまが大変、という概念が頭に浮かび、Popeという言葉ではなく、ふと”Papa in Rome got shot!”と言ってしまったのを覚えています。何だかその語感が、彼らに仲間意識を持たせてしまったらしく、文字通り「連帯」してしまい、その後の研修がすごくスムーズにいくようになりました。企業の方には、少し文句も言われましたが、もちろん「ぱぱさま」もそのときは回復され、最終的にはみんな満足でよかったということになりました。
実はこのカトリックかるたで今も頭に残っている知識の断片が結構、現在翻訳に役立ったりしています。「ちえはそろもん、ちからはさむそん」とか、「まんと、ありがと、まるちのさん」、とか、その程度の断片なのですが、日本で普通に暮らしているとあまり思い出さないことでも、英語(もちろん他のヨーロッパ系言語もそうなのでしょうが)で書かれた文章には何気なく出てきて、あ、マーティンさんだから、マントを切ったのね、とか思うことってあります。