劣化する脳
目を休めようとゆっくりするつもりでいた今週、甥が遊びに来て結局、大忙し。帰り際、新幹線まで送っていって、ギリギリでホームを猛ダッシュすることになり、急いでいるわけでもないのに、どーしていつも、こういうギリギリのスケジュールにしてしまうのだろうと反省しました。私は、時間にルーズというわけでもないと思うのですが、飛行機や電車の時間を待つのがすごく嫌いらしく、国際線の飛行機でも乗り遅れたことは数限りなくあります。成田空港で「走れますか?」と聞かれて「もちろん!」と答えるのが当たり前、というタイプです。学生時代の貧乏旅行ならともかく、新製品発売の予算を取るための会議を手配して本社の偉い人たちを集めてプレゼンテーションすることになっていたのに、乗り遅れてしまったこともあります。バスが来ないと、待っていたほうが早いのはわかっているのに、次のバス停まで歩く。エレベーターも同じです。エスカレーターは必ず歩いて昇る。
「ぼんやり」するのは嫌いではないのですが、その際には「ぼんやりしよう!」と決めて、意識的にぼーっとしないとだめなので、それは「ぼんやりするという行為ではない」と言われたこともあります。にもかかわらず、時間の使い方の効率は悪く、もっとも無駄なのはウィンドウズに入っているゲームを何千回もしてしまうこと。
こういうペースで、まるで無駄に脳を動かしていると、最近話題の「脳の老化」みたいなのがすごく早い気がして、不安です。翻訳のほうが好き、と言っているのは、だんだん逐次通訳で3秒前の話の内容が「え、何でしたっけ?」になり、同通ブースに入ると集中力の持続時間が以前より極端に短くなっているように思えるので、通訳がしんどくなってきたせいもあるような。私より年齢が上で、通訳者としてバリバリ活躍されておられる方もたくさんおられるのですが、そういう方って、普段の生活が、もっと「おっとり」して「適切なスピード」だからでしょうか。あるいは「有益なことのためだけに」脳を動かしているから? KAT-TUNのメンバーにA型の血液型の子はいない、みたいな情報とかインプットしないんですよね、きっと。これ以上劣化させない方法を真剣に考えねば。